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50年あまりに及ぶ睡眠障害から解放され、生かされていることへの感謝の気持ちが 沸き上がってきました

  • (MRT梅田 65歳 女性 大阪府 I.S.)
  • 掲載日:2018.03.12

◆治良開始から泥のように眠り続けて三ヵ月あまり、これまでの人生の様々なことが思い出されてきた

 2016年4月上旬、ある方から「MRTに、ぜひ一度は行ってみてください」とご紹介頂いたことが切っ掛けとなり、MRT治良に通い始めました。
 身体のどこが悪いという自覚がなかった私は、「よし、行ってみよう」という気持ちにはなかなかなれなかったのですが、その紹介者から「自分の骨盤の中に入っている大事な仙骨のことなのに、なぜ行ってみようとしないのですか?」と不思議そうに言われて断る術もなく、とりあえず一度は行ってみようと思い、その重い腰を上げました。そして、2016年4月中旬、初めてMRT治良を受けました。
 MRT治良に大きな変化を求めるでもなく、1回だけで終わるつもりだったのですが、その日の帰りには、迷うことなく次回の予約を入れていました。それはRTの先生から、仙骨のことやMRT治良のことをわかりやすく説明して頂きましたことで、自分の中で何かストンと落ちるものがあり、納得できたからにほかありませんでした。
 初回の治良から、驚くことばかりでした。帰るときは身体が軽く頭はスッキリ、目もスッキリ、もう感激です。
 ところが治良を受けた翌朝は打って変わって、凄い肩凝りと頭痛、そして吐き気で目が覚めました。起き上がることもできずに、そのまま横になっていました。
 そしてその日の夜、眠りについたのも束の間、今度は自分の咳で目が覚め、そのまま翌朝まで眠ることができませんでした。肩凝りは一層増してきていましたが、これも治良による変化だと納得している自分がありました。
 更に3回目の治良を受けたあたりから、どうしようもない睡魔に襲われるようになり、昼間でも眠くて眠くて、12時間寝てもまだ寝足りないくらいでした。
 それから約3ヵ月あまり、起きている時間よりもベッドで眠っている時間のほうが長い日が延々続きました。

◆病歴の始まりは、生後10ヵ月から...

 母の体内にいたとき、私は臍の緒を首に巻き付けていたため、生まれたときは仮死状態でなかなか産声を上げなかったと聞いています。戦後の食料事情が思わしくないときでもあり、母の栄養状態も良くなかったようです。
 そして生後10ヵ月で肺炎を起こし、九死に一生を得ています。それが、私の病歴の始まりになります。
 小学校の頃は、扁桃腺炎から高熱を出してはよく学校を休んでいました。五年生のときには医師から扁桃腺の摘出を勧められて入院、その冬にはまた肺炎にかかりました。
 中学校のときには、体育の授業でバケツの水をかぶったように汗をかき、先生から病院へ行くことを勧められました。診断結果は、自律神経失調症でした。鼻炎で耳鼻科にもよく通っていましたが、いつも一人で病院の待合室に座っていたことを思い出します。
 高校生の頃になると、虚血症でいつもフラフラしていました。更に大学に入った頃には血圧がどんどん低くなり、朝は起きれない、動けない、学校にも行けない、最悪の状態が卒業するまで続き、気分はいつもふさいでいました。そして眠くて眠くて、学校でも気を失うように眠っていました。本当なら一番楽しい時代だと思うのですが、私には思い出すのもイヤな時代です。
 時は流れ、31歳で結婚し、33歳で第1子を妊娠しました。切迫流産、さらに切迫早産の危機を乗り越え、無事長男が生まれました。その2年後には次男が生まれましたが、次男はひどい皮膚炎とアレルギー性気管支炎、そして喘息と、とても辛い症状が続きました。
 私が40歳の夏、5歳になる次男のために転地を考え引っ越したものの、一向に良くなる気配はなく、夜中に苦しむ次男を何回も抱き、熟睡できるときは一日もありませんでした。この時期、次男は私に抱かれながら「お母さん、僕は、お母さんがこの病気だったら、かわいそうで耐えられない。僕でよかったよ」と苦しい息の下から言ったことを、思い出します。
 そしてその年には、私がまた肺炎にかかってしまい、2週間入院しました。その上、主人とのことも難題続きで、結婚した後も、身も心も安まることはありませんでした。
 更に50歳を過ぎた頃になると、たった150gの靴が重くて重くて歩くのも辛く、動作も緩慢になり、スーパーで買い物した手提げ袋を落としてしまったりで、このような私の状態は、誰の目にも病人としか映っていなかったようです。
 ところが、当の本人は、どこが悪いとも思っていなかったのです。元々、生まれて間もない頃から元気な状態を知らないまま生きてきた私でしたので、自分が尋常ではない状態にあることに未だ気付いていなかったのです。

◆小脳部分の髄膜腫ができたことで、ようやく事の重大さに気付く

 このような状態が続いていたある日、頭のてっぺんに何かを刺されたような激痛を感じました。目を開けると、壁が斜めに動いて吐き気がします。その後、私は激しい頭痛とめまいに襲われるようになり、脳神経外科に行きました。
 MRIで小脳部分の髄膜に腫瘍らしきものがあることがわかりました。後日、造影剤を入れて検査すると、髄膜にかなり大きな腫瘍ができているとのことでした。「ここまでになるまでに自覚症状があったはずなのに、なぜ放っておいたのか」と、医師から叱られました。
 確かに目まいやふらつきなど、いろいろな症状はあったのですが、自分にとってはいつものことで今に始まったわけではなく、「これは自律神経失調症か更年期障害だろうから大したことはない」と思い込んでいました。今にして思えば、それほどまでに自分のことに無関心だったのです。
 そして55歳のとき、手術することになったのですが、腫瘍はいつできたかわからないほど古く、そこから血管も派生していたため、全部を摘出することはできませんでした。13時間を越える手術でしたが、昔に比べて技術も進歩し、また腫瘍が取りにくい場所にあったことを考えれば、期が熟しての手術であったと思います。
 手術をしたことでもう病気はなくなったものと思っていた反面、その後も当たり前のように、体調不良は続いていました。

◆「今、こうして生きていることが奇跡」と思える日々を過ごしています

 それから10年の歳月が流れ、今こうしてMRTに御縁を頂いているのですが、振り返ってみますと、これまで幾度となく入退院を繰り返してきたにもかかわらず、体調が悪いことが当たり前であるかのように生きてきました。感覚が麻痺していたのだと思います。
 MRT治良を受けていくうちに、これまでの私の人生、神から頂いたこの肉体を、私はあまりにも無頓着に、そしていたわることなく酷使してきていたことに気付くようになってきました。60兆個の細胞に感謝することなく、神により生かされていることへの感謝も足りていませんでした。
 MRTに来るまでは、ただ「しんどい。しんどい」だけでしたが、今は、自分の身体と対話できるようになってきています。
 また、MRT治良を受け始めて3ヵ月あまり、まるで、子供の頃から今に至るまでの睡眠時間を取り戻すかのように眠り続けていましたが、その後は眠らないといけないから眠るのではなく、睡魔が来てストンと眠りにつく、そんな自分に大きく変わってきています。激しい雨音にも気が付かないほどに、熟睡している夜もあるようです。
 子供の頃から睡眠障害に悩まされ続けてきた私にとって、これは奇跡とも言えるほどの変化です。
 また、回を重ねるに連れて、今まで歪んで見えていた鏡に映る自分の顔が、左右対称に見えるようになってきています。女性として、これはとてもうれしいことです。そして何よりも、立っているときに自分の中真を感じれるようになってきております。
 そのほかにも股関節の痛みや腰の痛みなど、かつての痛みが再現されてきては退き、それが幾度となく繰り返されていますが、治良を受けて帰るときには毎回身体が軽く、別人になったように感じます。
 過去を振り返りますと、今こうして生きていることが奇跡だなと思えてなりません。
 MRT梅田の入り口脇には、楠の大木があります。少し離れたところには、銀杏の古木もあります。そしてそのすぐ向こうには大阪の大動脈であり、多くの車が行き交う新御堂筋が通っておりますのに、この一画だけは喧噪を離れた不思議な静けさを感じる空間が醸し出されています。
 毎回その空間に足を踏み入れるとき、それは、「今日もMRTに来ることができて良かった」と思う瞬間です。

※体験談は個人の感想であり、MRT治良の効果を説明・保障するものではありません。

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