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MRT治良を重ねて母に対する想いを理解する。自分を中真にしていくことで不正出血が改善。日々理解を重ねています

  • (MRTアリオ蘇我 45歳 女性 S.K.)
  • 掲載日:2015.11.02

◆もう一度体験談を書いてみたいと思っていた矢先に依頼を受ける

 振り返れば、『二〇一一年版月刊MRT別冊号一五号』に体験談を書かせて頂いたときも、本当は一番に母とのことを書きたかったのですが、万一母が目にすることがあったら...と思うと怖くて書けませんでした。
 そのことがずっと自分自身の心の中で引っ掛かっていました。最近になって他の方が書かれた体験談を読む度に、そのときのことが強く思い出され、「今、もう一度書くことができたら、自分の想いが晴れるのではないか...」と思っていた矢先にRTの先生から、「体験談を書いてみませんか?」とのお話を頂き、そのタイミングの良さに驚きました。そして、もう一度体験談を書かせて頂きたいという気持ちが強く芽生え、今回体験談を書かせて頂いていることに心から感謝しています。

◆精神的に楽になりたいとMRT治良を受ける

 私は幼少期からすぐに手をあげる母の顔色を伺いながら育ちました。母は感情の起伏が激しく、母には絶対服従で謝るときは土下座でした。たばこの火を手の平に押し付けられることもあり、子供の頃から逆らえば殺されると思って「はい」としか言えないまま大人になりました。
 そうして過ごすうちに、気が付けば、自分の身体は十二指腸潰瘍、胃のポリープ、肩凝り、椎間板ヘルニア、メニエール症候群、膀胱炎、生理痛、貧血などを患い、下唇の裏に腫瘍のようなものができて三回手術をしたこともあります。椎間板ヘルニアでも手術を受け、そのときには麻酔がかかりすぎてこのまま死ぬかもしれないと家族が呼ばれたそうです。
 熱中症で意識を失い倒れたことや、風邪をひいただけで脱水症状になるなど、様々な症状を何とかしたくて、鍼灸、中国整体、指圧、マッサージなどを受けましたが、一向に改善しませんでした。
 誰に対しても本音が言えずに人間関係が最悪で、行き詰まっていた二〇〇六年の三六歳のとき、南船橋のショッピングセンター『ららぽーとTOKYO―BAY』にあった『酸素バー』を体験したとき、そこでMRTのことを知り、とにかく精神的に楽になりたいとの思いでその日のうちに初回の治良を受けたのです。

◆MRT治良によって、肉体的、精神的に楽になる 

 初回の治良を受けた感想は「たったこれだけの治良で良くなるの?」という感じでしたが、その日の夜は朝までぐっすりと眠れ、翌朝には気持ちが少し軽くなっていました。
 八回目の治良までは、どうしようもないほどの眠気が続きましたが、徐々に肉体と精神が楽になっていったのです。
 一〇回目を過ぎた頃から、今まで言いたいことが言えなかった母に対しての激しい嫌悪感が出てきました。
 そして、一九回目のMRT治良後に、急に涙が込み上げてきて、そのまま治良室で号泣してしまいました。そのときRTの先生にお話を聞いて頂くうちに、私はいつも他人に言いたいことが言えず、良い顔をしてしまい、そのストレスを家族に向けてしまっていたことに気付いたのです。RTの先生からは、「他人に中真を置いてしまい、自分が我慢していることで病気という現象が現われてきていたのですね。これからは自分を中真にしていってください」とお話し頂き、なぜ自分が病気になったのかがわかった気がして、それ以降、精神的にスッキリしました。そして、身体も軽くなり、それまで腰痛のため横向きでしか眠れなかったのが、上向きで眠れるようになりました。曲がっていた腰の骨がまっすぐになって、肩凝りも嘘のように軽く、内臓の調子も良くなり、それまで飲んでいた薬も全て手放すことができたのです。
 私には主人と娘がいますが、そんな私のMRTを受けてからの変化を見て、主人と当時一一歳だった娘もMRT治良の効果をわかったらしく、私の勧めもあって、二○○八年三月から三人揃ってMRT治良を受けるようになったのです。

◆一番苦手な現象を通して、理解の大事さを実感する

 二〇〇九年一月、師尚の『霊止乃道』の御本が出版され、すぐに購入して拝読しました。
 それまで、MRT治良に通って肉体的にも精神的にも大きく変わったことは実感していたのですが、数年来持ち越してきた近所の人間関係のわだかまりは、なかなか理解することができないままでした。そして、御本を読むようになってから、そのわだかまりがハッキリと目の前に突きつけられるような現象が起きたのです。それは一番苦手だった近所の方と直接会って話をしなければならないことになったのでした。それでもその苦手な方から逃げないで、理解したいと思い、『霊止乃道』の御本を繰り返し読み続けるうちに、次第に他人に中真を置いている自分自身の姿が観えてきたのです。
 そのことに気付いてから、自分の中でいろいろなことが整理され、そして自分からその方に一歩踏み出して接することができ、それ以降、その方とも普通に話せるようになりました。この体験を通して、理解というものがどれだけ大事なことかを身を持って実感しました。
 その後は、言いたいことを相手に伝えられるようになり、何か事件が起きても、どうしてそうなったのかに目が向くようになり、全て自分が映し出していることに理解を繋げられるようになりました。

◆母との関係について理解を深める

 その後も、MRT治良を重ねるごとに多くの理解があり、その度に自分自身が自由自在になっていく感覚があり、自分の中真に任せられるようになっていきました。しかし、私には常に母との関係が心の中で引っ掛かっていました。
 私は母への想いにずっと蓋をしたまま生きてきました。成人してからは、折りを見て、母に直接そのことを話そうと思ったことが何度もありましたが、「お前は親に向かって...」と怒りを露わにされ、その後「お前とは縁を切る」という内容の手紙まで送られて来たこともあり、結局私はまた自分の想いに蓋をするということの繰り返しでした。
 そのような母に対する想いに蓋をする生活を続けていた二〇一四年四月から、生理が終わっても出血が止まらなくなり、その年の六月頃からは破水したかのように突然に大量出血やこぶし大の塊が出るようになり、貧血もひどく、九月末で仕事を辞めることになってしまったのです。
 そして、二〇一四年一〇月のある日、母に呼び出されて夕食を共にしました。母は弟夫婦と同居しており、昔はあれだけ気が強かった母ですが、同居している弟の嫁にはかなり気を使っているらしく、相当ストレスが溜まっているようでした。母の愚痴を聞いているうちに私の左目にチクチクした違和感が現れてきて、母と別れて自宅に着いた頃から、左目、頬、顔全体がパンパンに腫れ上がり、痒みと痛みでその夜は眠れませんでした。次の日にMRT治良を受け、少し症状が落ち着いたので安心したのも束の間で、更に激しく腫れ上がり、次の日、病院で病名だけでも調べてもらおうと検査しましたがよくわからず、造血剤と鉄分の注射を打ちに通院するように言われました。しかし、病院で出される薬を飲むつもりはありませんでしたので、通院することを断りました。
 それからMRT治良に詰めて通ったりしましたが、症状は激しく出続け、周りからは病院へ行けと急かされ、八方塞がりの状態になってしまったのです。
 そのうち台所で洗い物をしただけで立っていられなくなり、寝込んでしまうこともあり、出血が激しくなる度に、私はこのまま死んでしまうかもしれないとさえ思うようになりました。激しい症状に耐え切れず、私は病院へ行くべきなのか? と何度も何度も自問自答を繰り返しました。しかし、それでも私は病院へ行く気にはなりませんでした。万が一このまま死んでしまうとしても、それは私の理解が浅かったからだと納得して死ねると思ったので、改めてMRTの治良に懸けようという決心がつき、自宅にあった物を売るなどして治良代に当てて週二回通うようにしたのです。
 そんなある日、症状についてなかなか改善しないことをRTの先生に相談したところ、「Sさんは何年間想いを溜め続けてきましたか?」と言われてハッとしました。私が想いを溜め続けてきて、四五年も経っていたのでした...。
 また、RTの先生から「Sさんが想いを吐き出さないから、身体が形を変えて想いを吐き出してくれているのですよ。母親との繋がりが深い子宮に症状が出ているということはそういうことではないのでしょうか?」とお話し頂き、そのお言葉が中真に響きました。続けてRTの先生から、「お母さんに対する想いを溜め込んで、まだまだ吐き出せていないのではないですか? お母さんに対する憎しみの想いを全て吐き出せば、次に感謝の気持ちが湧いてきますよ。そこまでなっていないということは、まだまだ想いを吐き出せていないのではないですか?」とお話し頂き、私は、母に対して産んでくれたことにしか感謝できておらず、まだまだ想いを吐き出せていないことに気付かせて頂きました。
 そして、治良だけではなかなか深い理解に至らず、時間も掛かってしまうと思い、オフィスで開催されている『やさしいMRT説明会』や『中真感覚の学び』にも参加して、深い理解に繋げていくように心掛けました。
 そうして週二回の治良と理解する時間を持つことで、徐々に大量出血がなくなり、大きな塊も出なくなったのです。
 その後、母は嫁との不仲に弟が絶え切れず、弟から家を出てほしいと言われ、母は結局、私にすがるようになり、「もうあなたしかいないのよ...」と泣きつかれてしまいました。母と会う度に一緒に住もうと言ってほしいのだな...と思うような発言を繰り返すようになり、私は母に対する今までの怒りと悲しみと虚しさで自分の感情を抑えることができなくなりました。そして、母から電話があっても、どうしても電話に出る気にならず、母と会うこともなく半年の月日が過ぎたのです。

◆娘の友達から自分の姿を振り返る

 私には現在、専門学校に通っている一九歳の娘がいますが、その娘の友達が母親との関係に悩んで二〇一五年七月後半から毎週私の家に泊まりに来るようになり、その子の話を聞いているうちに、自分自身の姿と重なりました。母親としての今の自分の立場と、母との関係で苦しんでいた子供としての立場の両方が痛いほど理解できました。その子の話を自分と母に重ねたとき、少しだけですが母の気持ちも理解できました。それは母の妹が生まれたときに母親が亡くなってしまい、一時期従兄の家で暮したり、父親が再婚したときには再婚相手の義理の母から冷たくされたりするなど辛い環境の中で育ってきたため、今まで相当我慢と無理を重ねており、溜まりに溜まったストレスを娘である私にぶつけることでしか生きてこれなかった弱い人間であったことがわかり、自然と母のことを許す気持ちが芽生えてきたのです。
 そして、ここは母に感謝すべき点だな...、母のことを尊敬できるな...と思えることがいくつか出てきたのです。例えば、母は掃除、洗濯、料理をしっかりしてくれていて、そういう家庭環境で育った私は母の姿から自然と家事を学び、大人になるにつれて家事全般をこなせるようになっていたのです。
 そんなある日、自宅近くのスーパーの駐車場で母の車を見つけました。母も私に気付きましたが、そのまま声も掛けずに母の車は走り去って行きました。
 いつもなら、母と同じ色の車を見ただけで、しばらくパニック状態になり、激しい呼吸と動悸が止まらないのですが、そのときは以前と比べてパニック状態にならずに落ち着いて行動できたのです。そして、冷静さを取り戻すのが早く、自分自身の変化に驚きました。
 しかし、母と会うことがまたいつか来るかもしれないとは思ってはいたものの、実際に母の顔を見るとまだまだ自分自身がちゃんと理解できていないことにも気付きました。今回のように、車ではなく実際にバッタリ会ったら、自分はどういう対応ができるだろうか? ということを自問自答したところ、母に怯えることも、母から逃げることもなく真正面に向き合って、ただただ自分の思いをそのままを伝えることができるという感覚を得ました。そのときに母からどんな態度をとられても、私はきっと大丈夫だと思います。
 今回、体験談を書きながら、今まで母とはずっと上辺だけの付き合いをしてきたことに改めて気付きました。私の母に対する想いはもっと早くきちんとした形で捨てておくべきでした。それができていなかったからこそ、今ここまで大きな現象となって私自身の前に現われているのだと理解しています。
 私と母との因縁が少しでも残っていれば、いずれ会う機会が巡ってくるはずですので、そのときには自分の気持ちをきちんと伝えて、自分の中にある想いを捨てたいと思っています。
 今では不正出血もほとんどなく、身体も軽くなっています。今回の体験を通じて、MRTで教えてもらっている「病気は先生である」ということを更に深く実感しました。そして自分の身体の完全性をもっと信じて、今後も病気や現象から自分の理解を深めていきたいと思っております。

※体験談は個人の感想であり、MRT治良の効果を説明・保障するものではありません。

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