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下垂体腫瘍による高プロラクチン血症の私が、MRTを受けることで体調が良くなり苦しかった人生の意味を識った

  • (MRT梅田 46歳 女性 兵庫県 K.T.)
  • 掲載日:2015.07.29

◆MRTを受けた切っ掛け

 私がMRTに出会ったのは、美容師さんからの紹介で、仙骨(せんこつ)の治良を通して、身体の不調を整えていくということを聞いたことからです。
 私は、身体のどこかが痛いとか、後遺症で悩まされているという症状はなかったのですが、漠然とした不安感に悩まされていました。自分のことが嫌いで、自信がなくて何に対しても素直に受け取ることのできないひねくれた考え方をしていました。年齢と共にこうなったのか、何が原因なのか突き詰めるべく、この状況から解放されたくて心理学の本やスピリチュアルな本を読んだりしていました。そして美容師さんから話を聞いたとき、MRTに行けば、きっとその問題が解明できるかもしれないと思い、好奇心の赴くまま初回の予約を取りました。
 最初にカルテを記入し、生まれてから今までの人生を振り返り、病気や心の動きなどを書き記しました。あらためて、その環境を振り返ると辛いことが多かったということを再認識しました。MRT治良と呼ばれている行程はRTの先生が私の仙骨(せんこつ)の歪みを測定し、その後仙骨(せんこつ)に無痛ショックを与えるというもので、短い時間でどのような効果が期待できるのか、最初はあまり信用していませんでした。しかし、MRTオフィスに来られているアプリカントの方々は皆さん淡々としていて、治良を受けて、その後『センコツくん』に乗ってサッサと帰って行かれます。若い人も年配の人もいろんな世代の人達がスッキリした表情で受けられているという感じでした。
 私はこの一瞬の治良のために今後も電車に乗ってわざわざ治良を受けるのは面倒くさいなぁと感じ「何か変化がなかったら、サッサとやめてしまおう」と思っていました。

◆母との関わりと脳下垂体腫瘍による高プロラクチン血症で悩み苦しんだ日々

 自分の人生を振り返ってみて、気付いたことがたくさんありました。
 幼少期、母は家の商売を手伝っていて、早朝から父といっしょに仕事に出掛けていたので、身の回りの世話などはほとんど祖母がやってくれていました。ところが、母は同居する祖母とは仲が悪かったので、毎日お互いの悪口を聞かされ、精神的に板挟み状態でした。父ともしょっちゅうケンカをして、どちらも頑固で一歩も引かないという態度でした。祖父母からは母の悪口を言っているのを聞かされ、子供だった私にも、母はこの家では誰も味方がいないのだと感じていました。兄のことは可愛がっていましたが、母は私に八つ当たりし、些細なことでよく叱られ、叩かれることもしょっちゅうでした。小学校低学年の頃には、一○円ハゲをつくることもしばしばあり、原因不明の腹痛も引き起こしていました。
 中学校になって、母は仕事の都合で前日の晩に私の弁当を作らないといけないことになり、茶色一色に詰められたお弁当が気に入らなくて、文句を言うと「自分で作れば」と言われて、その日から、私は自分で弁当を作らなければならなくなりました。まだ、料理ができなかったので、卵焼きだけ作る方法を覚え、冷凍食品を買ったり、惣菜を買って詰めていました。
 思春期になって、そろそろ身体の変化が現れる頃、私にはなかなか生理が始まりませんでした。母のことは苦手だったので相談し辛く、かと言って友達にも言えず、一人で悩んでいました。
 高校生になってもまだ生理がなくて、とうとう大学生になった頃、思い切って婦人科を受診しました。血液検査で高プロラクチン血症だということがわかり、脳下垂体にできた腫瘍が原因だということが判明したのです。プロラクチンが高いと無月経になるのです。その値は正常の三○○倍くらいありました。一九歳の夏に大きな病院を紹介してもらい、手術することになったのですが、その腫瘍はかなり大きく成長していて、視神経に到達していたので、視界も狭くなっていました。主治医の話では、これは九歳くらいのときから発症して大きくなっているらしいということでした。
 その後、手術だけでは切除できなかった腫瘍をお薬で完治していくという治療方法になり、私はそこから大量のお薬の投与を受けることになったのです。プロラクチンを正常値に近付けるために、生理が自然に来るまでにはなかなか遠い道のりでした。そして、将来のこともあるので、生理はお薬で起こすことにしました。しかしホルモン剤を多量に摂取するので、顔はむくみ、太りやすくなり、久しぶりに会う友達には、「太った」「顔が変わった」とか言われてとてもショックでした。もちろん副作用として吐き気などもあり、食欲不振になりました。そんな状況でしたが、両親、特に母親は淡々としていて、無関心でした。
 私はそういう態度を知っていたので、治療中でも弱音を吐くことができませんでした。辛い気持ちを吐くことはできず、自分の中に押し込めていました。そんな中、二九歳で結婚しましたが妊娠することはおそらく無理だろうと思い、主人には正直に話しました。理解してくれましたが、私には辛いことです。
 子供を産めないことはハンデを背負わされた気持ちで、同世代の人達のファミリーを見ては悔しい思いをしていました。幸いに義父母は孫を産めない私のことを気遣って、全くその話題に触れることはありませんが、うちの母に限っては正反対で、「子供はつくらないの?」と言い続けました。自分の娘の病気のこともよく知らないで、よくそんな無神経なことを言えるものだと、反論する気力も湧きませんでした。今は子供はあきらめたので、脳神経外科でお薬を貰って一年に一回脳MRIを撮って腫瘍が大きくなっていないか検診しています。

◆MRT治良を受けて確実な変化の中で本来の自分を取り戻して行った私

 週一回のMRT治良を受けて一ヵ月頃に身体に変化が現れ体調が良くなったので、三○年来飲んでいる二種類の飲み薬の量を減らしました。そしてMRT治良を受けて三ヵ月目に定期の血液検査を受けたところ、その結果がお薬を減らしたにもかかわらず良くなっていたのです。
 MRTに来ればお薬を減らせるということをRTの先生から聞いていたので一気にMRTへの信頼度が増しました。そうして現在は血液検査の値が安定したので、二種類の薬を一つに減らしたところ、それでも全く数値に変わりはなく、体調も良いので現在もそれを続けています。この先様子を見てもう少し減らすことができればと思っています。
 さらにもう一つ驚いたことに、足の爪にあった白癬症が改善していったことです。五~六年前から気付いていたのですが、病院に行くのがイヤだったので放置していました。それまで分厚かった爪がどんどん正常な薄さに変化し、今ではすっかり治っています。病院に行かずに治ってしまうなんてあり得ない出来事でした。
 そのような体験を通して、MRTへの信頼はどんどん高まっていたのですが、六ヵ月を過ぎた頃、仕事が忙しかったのでしばらくMRTをお休みしてしまったことが二ヵ月くらいありました。そこで気付いたのが精神的に落ち込んでしまったということです。MRTで仙骨(せんこつ)に刺激を与えバイブレーションを高めていたのは精神的に大きな影響があったということです。治良をお休みしている間に、どんどん以前の自分のように暗くなって、不安になり、自信がなくなっていました。
 この体験からMRTによっていつの間にか自信が取り戻せていたことがわかったのです。今では少しでも不安なことがあるとMRTに行ったら言葉では説明できない、無意識に行動できる本来の自分を取り戻せていることに気付いたのです。

◆母の死からの気付きと解けて行った母への感情

 MRTに通い始めてから一年を過ぎた頃に母が他界しました。ずっと確執のあった母との関係に終止符を打ったのです。前年のお盆休みに実家に帰省したときに会ってから四ヵ月くらい顔を見ていませんでした。
 母は脳梗塞を患ってから、認知症になり介護認定のレベルがどんどん上がっていました。父と二人で暮らしていましたが、父も人工透析を受けながら大腸癌の手術をし、そのうち咽頭癌も見つかり、半年ごとに手術を受けていました。その間、母が家に独りきりでいることが多く、近くに住んでいた兄が毎日様子を見に行っていました。いろんな状況が取り巻く中、母は不安に陥り、夜中に救急車を呼んだり、深夜に兄を呼び出したりして周囲に大分迷惑を掛けていました。ホームヘルパーの助けを借りることをかたくなに拒絶するので、住居環境も食事状況も悪化していきました。心配はしているものの実家に帰ると両親の口ゲンカを聞かされることになり、ストレスが溜まってしまいます。実家に帰るのがどんどんイヤになり、介護は兄に任せていましたが、私とは違って冷静に対処していました。
 しかし、とうとう、父が認知症の母ともめるうちに手を出すことが多くなって、母の顔にアザがあることがわかったので、母を施設で預かってもらうことにしました。もちろん母は行くことはイヤがっていましたが、トイレも独りでできなくなったので仕方がありませんでした。そのうちに施設でも異常行動が現れたので精神病院に入院することになったのです。そして昨年(二○一四年)末に退院し、正月に一時帰宅したのち、私は二日に再び施設にいる母に会いに行きました。そこには以前のような母の面影はありませんでした。すっかり意気消沈しまなざしがうつろでした。私とは普通に会話できましたが、記憶が少しあいまいでした。「子供はできないの?」とボケた母にしつこく聞かれ、こんなになっても、まだ私のイヤがることを言うのかとあきれました。それから五日後の一月七日早朝に誰に看取られることもなく静かに息を引き取りましたが、心不全で苦しんだ様子がなかったのでそれが救いでした。

◆MRTによって気付くことができた私の人生の意味

 RTの先生にそのことを報告すると、自然に涙があふれてきました。
 いずれ、あちらの世界で会えること、その境遇も含め何か意味があってこの世に生まれていること。全てが必然で起こっていることをお聞きしていたことで、反抗し続けて、素直に甘えられなかった母が亡くなったとき、なぜか感謝の心が生まれました。この世に生まれたのは母のお陰だったことを思い知ったからです。
 また、MRT治良を受ける中で自分は親を選んで生まれてきているのだということ、現世はいろんなことを識るために理解するために、様々な苦難を体験することなどを『月刊MRT』で読んだりお聞きして、幼少期、思春期で経験したことは、私の人生にとっては辛いことばかりでしたが、そのお陰で、この心の不安を解消するためにMRTに出会えることになり、今まで自分のことが不安でしょうがなかった、隠し続けた病気の不安など、MRT治良を受けることで次第に解明できました。主人にも自分の意思をハッキリと伝えられるようになり会話も増えました。頭で考えすぎることはまだまだありますが、自分の意思に忠実に生きることが大事なんだと思えるようになりました。
 人間関係も良くなっていると思います。人付き合いも苦手でしたが、挨拶も積極的にできるようになり、言いたいことを伝えられるようになりました。いろんなことに迷わなくなって職場環境も良くなりました。あらゆることに変化を感じています。
 MRT治良を通して、自分自身の中真感覚に気付き、そして本来の自分の姿を取り戻して健康になりたいです。これからはなにがあっても、様々な苦難にも淡々と※1種観霊をして理解を深めていきたいと思います。

※1 種観霊:現象という種を、霊の眼で観て理解すること。詳しくは、『霊止乃道』(たま出版)二八〇ページをご参照ください。

※体験談は個人の感想であり、MRT治良の効果を説明・保障するものではありません。

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