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アメリカで二二年間暮らし、日本へ帰国。日本にいても異文化の人達に囲まれることで、中真感覚に頼る生活になり、自分自身が観えてきた

  • (MRT横浜 52歳 神奈川県 K.S.)
  • 掲載日:2015.03.24

◆日本への帰国を決めた東日本大震災

 私は一九八九年に渡米し、シアトルに住んでいましたが、一九九六年から顔がギューッと右を向いた状態になり、医者からは斜頸と言われ、何の治療をやっても治る見込みがなく休養のため帰国しました。そのときに知人の紹介によってMRTに出会いました。
 治良を受け始めて一ヵ月ほど経つと、首、肩がバリバリに凝って痛くなったり、首の筋肉がピクピク引っ張られ、首が曲がり気味になったりする変化が出ました。一見悪くなっているようでしたが、逆行の説明を聞いていたので、「やっと来たか...」「これを過ぎれば少し楽になるかも」と思いました。しかし、それから約半年間にわたって、首の痛みが出る逆行が頻繁に出て、外出も辛いときがあり、「本当に治るのだろうか? いつアメリカに戻れるのだろう...」という不安も出てきました。それでも淡々とMRT治良に通ううちに、「動けないものは仕方がない。まだアメリカに戻れないならそれでいい」と思えるようになったときから徐々に楽になっていったのです。
 結局、約一年間MRT治良を続けたことで症状が改善し、再渡米することができました。
 アメリカで暮らしているときにも『月刊MRT』を読ませて頂き、「二〇一二年の一二月二二日に地球が大きく変容すること」は常に心の中にあり、「死ぬときは日本の地で死にたい。いつか日本に帰るぞ」と思いつつ、アメリカでの生活を諦めきれずに時間が過ぎていきました。
 年に一回は二週間ほど日本に戻って滞在し、治良を受けるようにしていましたが、ちょうど東日本大震災が起きた二〇一一年三月一一日のときはK県にあるスーパー内であの大きな揺れを体験し、その瞬間に「ああ、この世はもう終わる」と感じたのです。
 そして、その約一年後の二〇一二年に日本で暮らすために帰国しました。

◆二二年間アメリカで暮らしてみて感じる日本人とアメリカ人の違い

 今までアメリカに住み、日本に帰ってきて、私が肌で感じたことから両国の違いを振り返り、感じたこと、気付いたことをまとめてみました。
 まず、アメリカについて見ますと、アメリカ人といっても本当に様々な人がいますが、「やわらか、穏やか」という表現が当てはまる人が少ないです。大雑把で、尖っていて、エネルギーが外にバリバリ出ていて、アメリカンフットボールの競技とその選手の体格、それがアメリカを象徴しているように思います。
 また、貧困層がとても多く、社会に流れている空気は荒いので、繊細な精神の人は耐えられなくなるでしょう。実際に精神安定剤を常時服用している人はかなり多く、私の周りにもたくさんいました。
 そのように病んだ部分がたくさんあるにも関わらず、世界の人々がアメリカ文化に影響されるのは、ごく少数の富裕層が造り出す物質的な豊かさと、「物質面さえそろえばよい」という単純な考え方にあると思います。
 逆に日本は中庸で柔らかく優しい。しかし、本音がわかりにくく、表には本音を出さない人が多いように感じます。日本のニュースを見て、大きな事件を起こす人ほど外見が普通で真面目な印象であるのに対し、アメリカで問題を起こす人は、外見やふだんの素行から「怪しい」と感じる人が多いものです。
 また、日本人の性格が顕著に現れていることとして、テレビをつけると誰かを非難することばかりで、それに対し謝っているシーンがたくさん映し出されている...ということがあります。『月刊MRT』に掲載される師尚の御話にも書かれてある通り、アメリカ人はトラブルが起きても絶対に謝りませんし、何かと争いが絶えません。
 そして、日本では、周りの人と同じであることを暗黙のうちに強要されますが、それをしていれば敷かれたレールに乗ることができるのに対し、アメリカはある意味すべて自己責任で自分でやらなくては誰も助けてくれません。
 日本人は個人主義のアメリカ人と比べ、皆でまとまりやすい国柄だと思いますが、最近感じることは、本当は、どこの国、人種であろうとも人は他人と交わり、一つになろうとしているということです。
 私は長い間海外で過ごし、常に『月刊MRT』を読ませて頂きながら世の中を見てきましたが、様々な人種が交流し交り合うということは本当に重要なことだと感じています。
 しかし、そのときに大事なポイントは「こだわり、囚われを持たない」ということです。私自身はこだわりが強かったために、アメリカ生活を振り返ると受け入れ難いことも多く、心身ともに疲れてしまいました。

◆物質面にこだわるアメリカ人も、
目に見えないものに価値があり、本質があるとわかっている

 よく言われることですが、日本人は勤勉で、会社での時間外手当が出なくても残業する人が珍しくありません。目先の利益や損得を考えずに一所懸命に働きます。 
 一方、アメリカ人は、「もっとお金が欲しいから。自分の評価を上げたいから」という理由で残業する人はいても、「この仕事をしても自分が得することはない」と感じた途端に手を抜くような人が多いです。しかし、そのような人達も、数少ない勤勉な人の働きぶりを見ると「なんだ無駄なエネルギーを使って...」と思いつつ、一目置き、内心尊敬しているものでした。ということは、物質にこだわるアメリカ人も「損得勘定よりも目に見えないものに価値があり、本質がある」ということを本当はわかっているのだと感じたのです。やはり、中真感覚は国境、人種を越えて備わり機能しているということがわかります。

◆帰国後の就職から現在まで守られながら過ごしていることを感じる

 二〇一二年三月に帰国し、都心にある学校の事務職に就職が決まりました。そこは、日本語を教える先生以外は全員外国人です。
 勤めてみて、その仕事の量に驚きました。事務は私一人なので、学校行事の企画、準備、学校見学への対応、保護者への日々の連絡、業者との連絡、職員の管理、外国人先生の生活全般への補助、生徒達のお弁当の注文取りからお金の徴収、イレギュラーなこととして生徒がケガをしたときの対応...等、とにかく授業以外のこと全てをこなさなくてはなりません。毎日、嵐のように日々が過ぎ、「こんなことが起こるなんて!」ということもしばしばですが、今まで大事に至らずに済んでいるのも霊止乃道で説かれていますように、守護神・守護霊によって守られているからだと感じています。

◆アメリカでさえ体験しなかった人種のるつぼという職場で
中真感覚に頼って働く

 今の職場は、私がアメリカで二二年間生活したことの集大成のような気もします。「人種のるつぼ」と言われるアメリカでは様々な人に出会ってきましたが、今の環境もかなり人種のるつぼであり、アメリカですらなかったことも経験しています。
 アメリカに長く住んでいても、自分の生活圏にいる経済レベルの人、関わりある人種の人以外に接する機会はあまりありません。たとえば、アメリカにはメキシコ系、中近東系の人達がかなり住んでいますが、自分の職場にいなければ交流もなく、その人達がどのような生活習慣、文化を持っているかはわからないのです。
 今の職場は、トルコ系の学校で先生も生徒も約半数がトルコ系の人ですが、英語教育のインターナショナルスクールなので、ヨーロッパ圏、アメリカ、アジア各国の人達が入り混じっています。さらに特殊なことに日本の公立小学校の敷地の一部を借りているために、バリバリの日本システムの中にいる日本人の先生達との交流もあり、柔軟に対応できなくてはなりません。
 日々、西洋圏、イスラム系、その他各国の人達の狭間で苦労しているのが、私と日本語の先生(日本人)です。とにかく「普通はこうでしょう」で通じることが何一つありません。それぞれの文化圏の人達は個々に「普通」という概念があり、頑固にそれを押し通そうとして軋轢が起きます。そのような中で仕事をしながら、瞬間瞬間の判断はまさに中真感覚だと思います。まだ中真感覚を使い切っているとは言えませんが、アメリカに住んでいるときより周りの価値感、生活習慣が多種多様であり、日本にいる今のほうが中真感覚に頼らざるを得ません。
 めまぐるしい日々を通して、異文化の人達との関係をスムーズに保つために掴んだコツがあります。それは、(外国の人が)実際に言った言葉だけに囚われず、話している雰囲気、その人から出ているエネルギーを感じて対応を判断するということです。すると、「今、これは言ってはいけない」とか「今、声を掛けるべき」というタイミングがうまく掴めるのです。自分が冷静であれば、相手のエネルギーが的確に読めて行動でき、お互いがスッと納得している関係を保っていられるように思います。

◆『中真感覚の学び』に参加、
他人への批判よりも自分自身の理解に努めるようになる

 日本で仕事をするようになり、MRT治良にも定期的に通っていましたが、あるときから、自分の日常には「これ」という中真がなく、このまま過ごしても何かしらの不安、不満を抱えていくことになるだろうと感じ、中真を持った生活に切り換えていくべく、MRTオフィスで開催される『中真感覚の学び』に参加するようになりました。
 私は、小さい頃から他人と一緒にいることが苦手で、特に人がたくさんいるような場は苦手でした。そして、人との壁を作ることが多く、何か問題が起こると人との関わりから逃げていました。
 『中真感覚の学び』では、「自分の中真から動く」「相手の中真に働き掛ける」と教えられます。稽古を通して「自分はふだんから相手に近付くこと、相手の中真に入っていくことを怖がっている」ということに気付きました。「相手に近付くことで、今の自分を変えられたらどうしよう...」という不安を抱いていたのです。
 しかし、『中真感覚の学び』で道術の稽古をして自分の中真から動くことを体験しているうちに、「そうだ、避けていたら何もできないし、もっと不自由してしまう。今までみたいに躊躇していては駄目だ。自分から相手の中真に向かっていかなければならないのだ」と強く感じることがありました。そして、「自分が中真を保ってさえいれば、相手に近付いても大丈夫なのだ」と概念が変わり、それから人と接するときの一体感を取りやすくなりました。
 また、以前の自分でしたら、仕事や人間関係の状況が悪くなると「なぜ、この人はこのようなことをするのだろう?」「なぜ、このような人がいるのだろう?」と、人を批判する想いをたくさん出していましたが、最近では「これも自分に見せている現象だ」と捉え、相手を責めるよりも「この人が存在するのは、私が何を理解するためなのか?」ということに意識が向けられ、想いを出すことが減り、早く冷静さを取り戻すことができます。そして、日々、大変な状況が起こるのは、まだ自分が捨てるべきものを捨てられずにいるからだということがわかってきました。
 小さい頃から人を避けていた私が、最近では他人と混じることが大事であるとつくづく思います。
 個々を石に例えて種観霊していくと、ガチガチに尖った石コロ同士では混じり合うことはできず、自分はまだガチガチに尖っている部分があると自覚します。そして、ガチガチの角を取るには、やはりガチガチの石コロにぶつかる必要があり、丸くなって混じりやすくなる...。川の中のゴツゴツした石も角が取れて、さらに細かく砂の状態にまでなるとサラサラとしてぶつかることはありません。このように種観霊していき、「そうか、だから自分の周りには尖った人達が現れて、いろんなことが起きているのだな」と、視界が開けた感じがしました。
 まだ大きなガチガチの石で、不自由な想いが出ることもあり、砂になるには先のことだと思います。しかし、「身の周りで起きるイヤなことも全て自分の尖った部分から起きている」と思うとありがたいことと感じます。
 これからも、MRT治良、『中真感覚の学び』、種観霊を通し、サラサラとした砂を目指して、淡々と理解していきたいと思います。

※体験談は個人の感想であり、MRT治良の効果を説明・保障するものではありません。

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