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変形性股関節症末期の歩けない状態から杖なしでも歩けるほど回復。精神面でも大きく変化した

  • (MRT姫路駅前 61歳 女性 岡山県 T.S.)
  • 掲載日:2015.02.23

◆変形性股関節症末期と診断され病院や整体など一一軒通ったが、症状は悪化する一方だった

 今思えば一九九八年秋、ヨガをしていて右足の開脚角度が段々狭まり、真横に動かせなくなったのが前兆ではないかと思いますが、二〇一〇年頃から右股関節が歩行時、ときどき骨同士が当たる感じでかすかな痛みと違和感がありました。当初は右足を下に向け蹴るとその症状は消えて普通に歩けましたが、この状態が約一年間続いた後、二〇一一年二月に歩いているとき、突然右太股に激痛が走り、しばらく座って休まないと歩けない状態になりました。
 そのまま様子を見ていましたが一向に痛みが取れないので、整形外科で受診しレントゲンを撮り、その場で変形性股関節症と診断されました。「レントゲンだけではハッキリしないのでCT、MRIも撮りましょう」と言われましたが、私は仕事をしている上海へ戻る予定でしたので半年後の八月に予約し、すぐに上海へ戻りました。そのときもかなり痛く階段は特に苦痛でした。
 このときは「そのうち良くなるだろう」くらいにしか思っていませんでしたが、その後痛みは激しさを増すばかりで、二月から八月までの間にかなり病状は進行していました。
 上海に戻ってからは推拿診療所、マッサージ、鍼灸、日本人の理学療法士による治療所に行きました。上海では学生が無料の推拿治療所(日本の指圧のようなもの)を教えてくれたので、毎日自転車で通い、治療直後はかなり良くなり痛みも和らぐのですが、すぐ痛みはぶり返し一向に良くなりませんでした。本場中国の鍼灸にも一〇回ほど通いましたが、足と頭に鍼を刺しているときだけは痛みもなく普通に歩け、階段ですら普通に歩けましたが、鍼を抜くと元の木阿弥でした。洗脚(足マッサージ)にもよく行きましたが効果はありませんでした。当時、歩けば歩くほど股関節の隙間がなくなるように感じあまり外出もしなかったので、あっという間に両足の太さが変わり、右足のみ細くなりました。
 日本に帰国して、予定通り八月一〇日に精密検査を受けました。その結果、医者からは「手術しか治る道はない」と言われ、治療は全くありませんでした。病院では、毎回レントゲンを撮り、痛み止め(ロキソニン・フロモックス)と胃薬を処方するだけでした。二〇一一年九月に撮ったレントゲンでは、股関節の軟骨部分の隙間がほとんどなくなり、骨棘、骨に穴が開いているのが見え、変形性股関節症の末期と診断され、この頃から杖をついて歩くようになりました。
 寝てもさめても二四時間右足にカミソリで切られるような痛みと、稲妻が走るような鋭い痛みを感じ、歩行時は、パンパンに張った太股に縫い針を刺すような痛さがあり、右足を動かす度に右股関節がボキボキと音を立て、更に寝ているときに右足全体に拘縮(ひきつけのようなもの)が起き熟睡できない状態で、朝起きてベッドから出るときも三〇分ほどベッドに座り足を伸ばしたり緩めたりして、前後にゆっくりと動かしてからではないと立ち上がれず、洗顔を済ませ活動できるようになるには二~三時間も掛かっていました。
 椅子に座ってソックスをはくときも最低三〇分は掛かり、痛みが激しいときは一時間悪戦苦闘したこともありました。
 何とか症状を治したくて、日本に帰ってからは病院四軒、整体五軒と背骨矯正所、ストレッチと体操で股関節の改善を目指すK○○療法に行きました。
 二〇一一年八月下旬、背骨を矯正する所へ行ったときには、すでに爬行が始まっており、そこでは生ゴムバンドを巻くことを教えてくれ、生ゴムバンドをきつく股関節の上に巻くと爬行はさほど目立たないほどになりましたが、血行不良になると感じてやめました。
 今話題になっているA○○療法(仙腸関節への療法)を岡山県下で唯一導入していた地元の病院へも行きましたが、治療直後は歩きやすくなるものの、症状は悪化するばかりで二〇一一年一一月を最後に行くのをやめました。同時期に他の病院で理学療法士の指導に基づき運動もしていましたが、九月に入ると発熱が続き、次第に痛みも増したので、その運動もできなくなりやめました。三八~三九度の熱が続き、中国人医師に漢方を処方してもらい、一二月下旬にやっと熱が引きました。平熱に戻ったら、今度は拘縮が度々起きるようになり、二四時間股関節から足首までカミソリで切られるような痛みが続き熟睡できませんでした。わずかな期間で体重は三,四キロ減り足の太さと臀部が左右大きく変わりました。
 K○○療法のセミナーを受けに博多まで行きましたが、いろいろな療法のつぎはぎでこれは全く話になりませんでした。
 雑誌で紹介された股関節痛は押圧で治そうという記事を信じ一所懸命押圧をしたところ、鼠蹊部のリンパ腺が腫れあがってしまい、これが一番良くありませんでした。
 避寒のためにシンガポールへ行き水中歩行を毎日二ヵ月続けましたが、痛みに変化はなく歩きにくくなる一方でした。
 知人に紹介された有名な整体の広島本部へ行き、宿泊して二回の治療を受けていましたが、次第に「ここの治療では何回来ても良くならない」と感じ始めていました。その整体で「今通ってきている人の中で一番重症なのはあなただろう。今なら障害認定されるかもしれない」と言われて、実際に病院で測定したところ、結果は五級ということでした。
 その病院から帰宅後ネットで『仙腸関節』で検索した結果、MRTのサイトに繋がり体験談などを見て、翌日MRT姫路駅前に初回治良の予約の電話をしました。

◆MRT治良を初めて受けて治る希望を持てた

 普通に歩けるまで治したい、MRTにはただそれだけの目的を持って通い始めました。
 治良は、ネットで見た通りあっという間に終わり非常にあっけない感じがしました。
 ところが帰りの電車の中で、普通に座っていたのに涙がハラハラとあふれました。具体的な事象は脳裏に浮かばないのに、ただただ涙がこみ上げてきました。MRT治良を受けて私の胸の奥にしまいこんでいた悲しみ、辛さ、やるせなさが噴出したのだろうと思いました。
 肉体面では、歯の左右の上五番、六番と、歯茎が重い感じがしました。現在でもときどき腫れますが、MRTを受けてから不思議なことに虫歯が進行しないし、腫れもいつの間にか治まります。初回治良の翌朝は、腸の掃除が始まったようで真っ黒な異臭のする排便がありました。
 その晩いつものように痛みで二、三回目が覚めましたが、二〇時半から翌朝五時まで久しぶりに熟睡できました。MRT治良を受け、これまでにない変化が始まったので、そのとき通っていた広島の整体の予約をすべてキャンセルしました。MRT治良なら治る予感がしたからです。

◆MRT治良を続けて、様々な経過を経て杖なしで歩けるまでに回復した

 MRT治良を受け続けて、様々な逆行や変化を体験していますが、二回目には、一本の杖と傘で信じられないくらい楽に歩いてMRTに向かったのを覚えています。
 四回目の治良後には、右足大腿骨外側の大転子が外に飛び出していたのが、左右ほとんど同じになりました。また、起き抜けがかなり楽になりました。
 一三回目の治良後、股関節の靭帯の引きつり感がなくなりました。
 一七回目の治良後には、乗馬で何度も擦りあげたすねの外側に曲がっていた頸骨の骨の歪みが取れ、ほぼまっすぐになっていました。
 一二〇回目(二〇一三年夏)頃に一〇歳の頃開放性骨折をし、骨が肉を突き破って飛び出した箇所がくぼんだままだったのがフラットになり、触っても痛くなくなりました。
 一三〇回目(二〇一三年秋)頃からの三、四ヵ月間、前屈の姿勢ができなくなり、自分の靴紐が結べなくなり、椅子に座るときも右膝を伸ばしたままでないと痛かったのですが、二〇一四年になると、いつの間にか再び普通に近い状態で椅子に座ることができるようになりました。
 二〇一四年春以降小さな逆行を繰り返しながら、次第に痛みが和らぎ少しずついい方向へ向かい、治良二〇一回後(二〇一四年秋)、三年ぶりに杖を持たないで散歩をすることができました。それは三〇分歩いて休憩するという状態でしたが、RTの先生の「多少痛くても歩いてください」の言葉を思い出し、「仙骨(せんこつ)さん、後ろの霊止ありがとう」と心の中で言ったりしながら頑張って歩きました。
 このようにMRT治良を続けたことで、様々な逆行や変化を経て、段々と痛みが減り、速く歩けるようになり、歩ける距離が伸び、とうとう杖なしで歩けるまでに回復していきました。

◆過去の辛かった家族関係が自然と理解でき、家族への想いが解消されていった

 MRT治良を受けるようになってから、過去の出来事が脳裏に映像と共に突然現れます。散歩中が一番頻度が高く、しかも忘れたいと思っているイヤなことが一番多く現れますが、過去に自分が不自由していたことについて理解に繋がることもよくあります。
 私が会社勤め、アパート経営、家事、育児をこなしていた頃のことです。自宅とアパートを造って何年か後、舅が入院しました。私は、会社での仕事を終え帰宅後すぐに舅の入院先に姑、子供達を車に乗せ毎日通い、入院費用、付添い人の費用も全て私が負担していました。私にとっては、それがかなりの重荷となっていましたが、「いつかは終わる」と思って我慢を続けており、そのときは相当なストレスを抱え込んで、会社から帰宅したくないと思ったこともありました。
 私が落ち込んで悩んでいるときに主人に相談しても、いつも無関心で、ねぎらいの言葉も金銭的なことも全く口にしませんでした。そのような生活が続いていたので主人のことに不満を持っていましたが、MRTで霊止乃道を識ったことで、これは主人の問題ではなく、私が主人にそのような態度を取らせてしまっていたのだと気付き、そう理解すると腹も立たなくなりました。私が家族にそうさせたし、そういう人達を引き寄せていたと理解できました。
 その後友人に主人のことを話したら、なぜだか自然と涙があふれてきました。RTの先生に「私は主人との生活を本当は望んでいなかったのに一緒にいたからですよね? 更に、自分に嘘をついて生きてきたんですよね?」と質問しましたら、「そうです。本心と違うことを続けていたことが、仙骨(せんこつ)に影響し、その歪んだバイブレーションが身体に障害となって顕れるのです」とお聞きしました。
 母のことについても、思い出したり、人に生前中の母のことを話すと、やはり涙があふれてきました。「母は、子供のために働き通しで、なんの楽しみがあったのだろう?」と思うと涙が出てくるのです。しかし、この涙は母に対する涙ではなく、私自身に対する涙だとRTの先生の言葉よりわかりました。この涙は、母の言いつけを守って、私が自分自身のしたいことをあきらめ、その辛い気持ちに蓋をした人生を送ってきたからだと気が付いたのです。
 自分中真の生き方ではありませんでしたが、家族と一緒に暮らすために、そういう生き方をせざるをえなかった私は、前世に原因があるのだろうと思います。この涙の理由が理解できてからは、不思議なことですが母のことを思い出しても話をしても、涙が出ることはなくなりました。
 今のように霊止乃道を識った以上、後戻りはできません。否、したくありません。自分中真の生活がいかに快適な生活であるかを識ったのです。実は、初めのうちは、MRTでマインドコントロールされないよう、十分注意、用心していたのですが、今は笑い話になりました。

◆病気は※種観霊し、理解するためにあると気付く

 MRTに出会うまで毎年健康診断を受けていましたが、出会ってからは一度も行っていません。MRTの治良を受けていれば、自然治癒すると信じています。自然治癒と表現しましたが、自身の仙骨(せんこつ)、後ろの霊止が助けてくれて治癒すると思っています。
 病気になるのは、悪いことではなく、身体のバランスを取るために必要があるから病気になるのであって前世での理解やそれまで出した想念の結果であり、理解が足りないからもっと種観霊し、もっと理解せよという顕れだと思うようになりました。
 MRTに出会えて良かったと心から思っています。散歩とMRTへ行くことは、生涯の楽しい仕事と捉え、想念を毎日捨てることも忘れず、一日一日を大切に過ごしていきたいです。
 末筆になりましたが、RTの先生に心よりのお礼を申し上げます。本当に出会えて良かった。体験談が書けるまでになれて本当に良かったと思っています。

※ 種観霊:現象という種を、霊の眼で観て理解すること。詳しくは、『霊止乃道』(たま出版)二八〇ページをご参照ください。

※体験談は個人の感想であり、MRT治良の効果を説明・保障するものではありません。

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