体験談のご紹介

最新の体験談

日常に師尚の※1御押し絵を実践するなかで、脊髄腫瘍を切っ掛けに人間の道をやめ、霊止乃道へと歩みを進める

  • (MRT銀座 52歳 男性 東京都 Y.T.)
  • 掲載日:2015.01.20

◆死を実感した子供時代

 幼少の頃の私は、とても活発でひょうきんな子供でした。当時流行していた漫画の『おそ松くん』が好きで、そのキャラクターの真似をして、「シェー」と叫びながら満面の笑みで、都会の大通りの真ん中でポーズをとっているような子供でした。
 そんな無邪気であった私ですが、一〇代のある夏休みに、いつものように楽しんで遊んでいたとき、ふと「人間は誰もが死んでしまう存在なのだ」と、本当に心の底から気付いたことがありました。
 その出来事以来、毎日楽しく過ごしていたのが一変してしまい「人間はどうせ結局は死んでしまう存在なのに、何の意味があって生きているのだろうか」と、いつも考えている子供になってしまいました。
 そのために一〇代後半は、精神世界の本や哲学の本、宗教本などを読みあさり、禅寺で座禅を組みにも行きました。母親が熱心なカトリック教徒であったため、有名な神父さんの元で毎週キリスト教の教義について語り合いもしました。
 しかし、結局のところ特定の宗教団体に入ることは一切ありませんでした。なぜならば、社会から隔絶されて修行して、特殊な体験を追い求めても結局悟りは得られないと思うに至ったからです。

◆社会の裏側を経験し挫折を味わう

 大学生時代は、映画や音楽などの芸術鑑賞にも没頭し、あまりにも文系に偏りすぎていたため、就職先は真逆の世界で生きようと決意し、大手コンピューターメーカーに就職しました。
 当時は大型汎用機全盛の時代でしたので、本社のコンピューターに問題が生じると、他の支社の業務も全てストップしてしまうので、それに対する責任の重圧は相当のものでした。
 それこそ、盆も正月もないような生活であまりのストレスで徐々に背中に激しい痛みを感じて痛み止めの薬なくして夜も眠れない状態になってしまったので、その会社を退職し心機一転して海外援助の仕事に就職しました。当時まだ内戦中であったカンボジアに行くことになりましたが、遠くで大砲の音が聞こえる中で電気・水道もままならない状況の発展途上国で仕事をするのは非常に刺激的でありました。
 しかし、開発援助の仕事は外から見ると人に貢献する仕事に見えますが、実際の内情はそれに携わる政府関係者や商社やメーカーの利権や思惑が渦巻き、綺麗事では済まされない世界でした。そのため、人間関係でも経済的な面でも、あらゆる面での挫折を味わい、三〇歳半ばで心身共に疲れ果ててしまいました。

◆ゼロからの再出発とMRTとの出会い

 仕事も人間関係も全てリセットして再スタートしようと決意し、まずは背中の激しい痛みを何とか解決したいと思い、二〇〇一年、本屋に探しに行って導かれるように手に取った書籍が『神秘の骨「仙骨(せんこつ)」に無痛ショックを与えると病気は消える』でした。
 そこには仙骨(せんこつ)に関して今まで聞いたことがないことが書かれており、非常な衝撃を受けたことを今でもハッキリと覚えています。自分をゼロにして中真感覚を得ることが、自分が求めていたゼロからの再出発をすることに繋がりました。
 御本を拝読しましてから、それまで私は社会に出て教育システムの刷り込みを受けたり、一般常識から立派な人間になるように頑張ってきたことが何か違うことに気付き、本当は自分自身の中真感覚を磨くことが一番大事であるとわかりました。
 早速、仙骨(せんこつ)の歪みを修正すべくMRT恵比寿に治良を受けに行き、MRTテーブルに仰向きに寝てコトンと落ちた瞬間に仙骨(せんこつ)から不思議な波動が全身に広がり、それと同時に身体全体が暖かくなりました。
 非常に心地よい感覚によって、身体全体が緩んでいくのが感じられ、それと同時に今まで無理を重ねて溜め込んだ疲れがどっと出てきました。MRTへ向かうときとは全く違い、帰りは全身がだるくなり、やっと家にたどり着くあり様でしたが、たった一秒、九ミリの仙骨(せんこつ)への僅かな調整で、こんなにも身体が変化してしまうことに正直驚きました。
 その後、七回目からMRT銀座に通うようになり、これを機会に食生活も全て見直し、MRTに毎週通いながら毎日淡々と中真感覚を磨くことを意識しました。その結果、一〇回目以降には、今まで痛み止めなくして眠ることができなかったのが薬をやめることができ、痛みもなくなってきました。
 体調の改善だけに留まらず、師尚の御押し絵に触れるに従い、社会人になって封印していた志、即ち若い頃の必死に悟りを求める意識が蘇り、それに伴い、若い頃に感じていた既存宗教の矛盾がわかるようになりました。
 そして時を得たように、二〇〇三年に『霊止乃道講話』が開催されるとの告知があり、非常な期待と新たな決意を持って参加を決めました。
 師尚に初めてお会いした、あのときの緊張感は今でも忘れることはできません。
 そして、その御押し絵に従うように日常生活を大事にし、自分自身の体験を通じて自分の業想念を地道に捨てていくことを淡々と行えるように心掛けました。

◆御押し絵を日常で実践し、自由自在になる

 MRTに通うようになって心身の健康を取り戻し、自分の中に軸がしっかりできるようになりました。そのお蔭で再就職先としてまたコンピューター業界に戻った中でも、ブレない自分でいることができました。
 コンピューター業界は比較的新しい職種ですが、下請けは労働条件も悪く、作業も細かいプログラミング作業ばかりで、朝から晩まで一日中パソコンに向き合う生活となりました。
 かつては大手に勤めていたのに三〇代半ばで逆に下請けの作業をすることになり、本当に大変なものとなりましたが、師尚の御押し絵によって、目の前にある環境こそ自分の学びがあることを識っていたので、大手にいては絶対に身に付かなかったであろう、「何事に対しても謙虚に素直に向き合う姿勢」が身に付きました。
 師尚は常々「悟りは脚下にある」として、日常生活での振る舞いの大切さを説かれます。職場でのそうした環境によってこそ、自分の不必要なプライドを捨て去ることができ、また一歩自由自在の道を進めることができたと感じます。
 MRTに淡々と通い、心身を整えていくことで、以前のように背中の痛みも薬に頼らずに済むようになり、心身共に順調に回復していた矢先に、自分自身の理解したことを試されるように大きなお試しがありました。

◆脊髄腫瘍が発症しても動揺しない中真の自分がいることを観じる

 二〇〇五年一二月のある日の夜、シャワーを浴びていましたときに胸から下にかけてお湯の温かみを感じないことに気付きました。
 翌日には、尿意を感じてトイレに行くのですが、小水を出すことができず膀胱がパンパンになり、近くの病院で診てもらうと膀胱炎と診断されました。しかし、更に数日後には下半身がしびれてしまい、思うように歩くことさえできなくなりました。更に詳しく検査するために友人の医者から紹介された病院に行き、MRI検査を受けたら、背中上部の脊髄にフライドポテト大の大きな腫瘍が発見され、脊髄を押し潰している状態であることがわかり、医者から「こんな状態でよく歩けていたな」と言われました。一〇年以上悩まされ苦しんでいた背中の痛みの原因がこの脊髄腫瘍であることがわかり、刻々としびれが下半身全体に広がりつつあったので緊急手術となり、腫瘍を摘出しました。
 非常に高度な手術でしたが、入院した病院が脊髄腫瘍手術の高度な技術を持っており、手術も成功して脊髄を傷めず腫瘍を摘出することができました。手術後一〇日以上してリハビリが始まりましたが、歩行補助器の助けを借りて、ようやく三歩歩くのがやっとでした。両足が鉛のように重く感じられ、強いしびれが下半身全体を覆い、全く自由が利かない身体となってしまい、以前のように自由自在に歩けるのかもわからず、社会復帰のメドもつかないような状態でした。
 しかし、そのような状況にあっても中真に意識を合わせると、動じない中真の自分がいると観じられ、大変な状況であるにもかかわらず、それほど悲観することはありませんでした。MRT治良をしていたからこそ、ここまで身体がもってくれ、事なきを得て精神的にも動揺せずにいられたのだと実感しております。
 今では、脊髄損傷の発症は、一〇年以上前から背中の痛みを通して中真の生活に切り替えなければならなかったところをMRTに出会ってからも仕事に追われハッキリと切り替えることができず、忙しいことを理由に週一回、MRTに通うところ、治良間隔が空いてしまい症状が進行してしまったことが観えてきました。中真が自分ではなく会社などの外のことに意識が向いていた人間的な自分を脊椎腫瘍になって内に目が向くようにされ、真に霊止乃道を歩ませる現象であったと理解しております。

◆不思議な経験と驚異的な回復

 数週間の辛いリハビリを必死に行い、ようやく自宅内での歩行移動ができるメドがたち、退院となりました。
 しかし退院と言っても、杖を使って少し歩ける程度でしたので、タクシーで自宅に帰ることとなりました。タクシーに乗ると運転手さんが振り返り、「お客さん、聞くのは失礼かもしれませんが、脊髄を痛めたのでは?」と声を掛けてきました。
 その運転手さんが、唐突に何故そのようなことを言ったかというと、彼自身が若い頃にハンググライダー事故で脊髄損傷をして、約一〇年リハビリをして社会復帰した人だったのです。彼は親切にも自宅に戻るまでの間に、脊髄損傷から社会復帰するまでに至った療養体験を私に話してくれ、「お客さんも必ず社会復帰できるようになる」と励ましてくれました。退院した日に、そのような体験の人に出会ったことで、私も必ずリバビリして元に戻れるようになると確信するに至りました。
 師尚から常々、各人には※2宇司露の霊止が存在していて、その存在が自分を導いてくれていると御押し絵を頂いておりましたので、その出来事は、宇司露の霊止のお蔭によって、私を導いて頂いたと観じました。
 また自宅マンションは、「介護対応仕様」でもあったので廊下に段差がなかったり、風呂場やトイレに身体を支えるバーがありましたので、一人で身の回りのこともできました。しかし、健康なときはそのようなものの必要性を全く感じられずにいたので、改めて環境も整えて頂いていたことに宇司露の霊止に感謝しました。
 自宅に帰り、まず最初にMRTオフィスを訪ね、RTの先生にお会いして治良を受け、何かそれまでの辛い経験から解放され、本当に安堵感を感じることができました。
 その後、MRT治良を受けながらリハビリを淡々と行い、そのリハビリでも一番うれしかったのは、自分で排尿ができるようになったことです。「脊髄神経でも非常に繊細な部分なので一生回復は難しい」と医者から言われており、病院では定期的にカテーテルを使って小水を出す訓練をしましたが、それ自体非常に大変で、これを一生しなければならないかと思うと非常に憂鬱なものでした。しかし、MRT治良を再開してから五回目の治良で自分で排尿ができるようになったときは、本当に救われたと思いました。泌尿器科の医者も通常では考えられない回復なので不思議に感じていたようです。
 信じられない速さで六ヵ月後には社会復帰を果たし、足の裏には今でもしびれは少し残っておりますが、それ以外はほとんど回復し以前と同じように歩けるようになりました。そればかりでなく、リハビリも兼ねてやっていたヨガを人の薦めもあって、教えるようにもなりました。今ではコンピューターの仕事とは別に、ヨガインストラクターとしても社会に貢献するに至りました。
 こうした体験を通じて、日頃より師尚の御押し絵に触れて、中真感覚を磨くことによって、何よりも自分自身を信じることができて、どんな状況でも淡々とやるべきことをするという姿勢が、全て良い方向に自分を導いてくれたものと確信しております。
 手術をして九年が経過して、今年で五二歳になりますが、今では若い頃より心身ともに軽く感じており、実年齢よりも若く見られることも多くあります。これもひとえに、毎月参加させて頂いている『霊止乃道講話』で、師尚の御押し絵に触れ、自ら体験したことを種観霊し、業想念を落としてきた結果だと観じております。
 今後、世の中は人間である以上、多くの想念を出し続け、それが様々な大事件、歴史上最大の災害となって返って来ることが観え、そのような混迷を極める世の中でも、日々、現象より種観霊を重ね、大安心の境地で霊止乃道を淡々と歩んで参ります。

※1 御押し絵...「教え」とは「押し絵」とも云い、師尚から頂く押し絵を版画と同じように雛形を刷って逝くこと。 (「逝く」とは、「折」と「神」からできており、「折り返して行く」ことを意味し、「人間の道」から「霊止乃道」に折り返して行くことを顕している)

※2 宇司露...四方を顕わに司られる存在のことであり、自分の背後の神霊のこと(守護霊、守護神、指導霊、主護霊、守護神)。

※体験談は個人の感想であり、MRT治良の効果を説明・保障するものではありません。

よく読まれている体験談

東日本大震災に関連する体験談

体験談の検索

体験談のご紹介

  • 体験談のご紹介
最新の体験談
692件の最新の体験談をご紹介します。
体験談の検索
登録されているすべての体験談を、キーワードにより検索できます。
良く読まれている体験談
体験談の中でよく読まれているものをご紹介します。

関連する情報

こんな方にお勧めです
過去38年以上の治良実績から、難病、奇病、精神病など、ありとあらゆる病気・症状の多くの方が来訪されています。