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今までの人生の全ては、自分が霊止乃道に繋がるためにあったことに気付き、霊止乃道を歩んでいきます

  • (MRT恵比寿 51歳 女性 S.S.)
  • 掲載日:2013.10.07

◆MRTとの出会い

 私は幼少の頃から喉や気管が弱く、よく風邪をひいていました。思春期の頃にはもう既に肩凝りがひどく、生理も不順でした。二〇代になって、ヨガや気功などでこれらの不調も軽減しましたが、根本的には治らず、評判の良い鍼灸治療院、カイロプラティック、整体師の所に通いましたが、一時的な効果はあってもすぐ元に戻ってしまいました。
 二〇〇五年七月、四四歳のとき、夫の実家の引っ越しの手伝いをした後、股関節に鈍い痛みが出始め、それ以来歩くのが苦痛になりました。私の母が以前両股関節に人工の骨を入れるという大きな手術をしているので、遺伝的に同じ症状になるのではないかと恐れを抱きました。そのとき、以前お世話になった整体師の方に「あなたは『仙骨(せんこつ)』という骨がズレ易いですね」と言われたことを、ふっと思い出し、すぐにインターネットで『仙骨(せんこつ)』をキーワードに検索しましたら、『MRT仙骨(せんこつ)瞬間無痛良法』の文字が目に飛び込んで来ました。

◆初めてMRT治良を受けて

 誰か信頼できる方の紹介ではなく、インターネットでの情報を見て、自分の直感を頼りに予約を入れました。中野駅からMRT中野まではわずかな距離でしたが、正直不安で、足の痛みもありましたので、一歩一歩引きずるように歩いていったことを覚えています。治良はわずか一秒で終了してしまいましたので、そのときは物足りなさを感じましたが、家に帰るときは股関節の痛みは全く消えて、軽やかに歩いている自分に驚きました。「もしかしたらここは本物かもしれない」と、期待で身体が温かくなるのを感じました。
 帰宅したその日の夜、激しく嘔吐しましたが、逆行の説明を受けていたのと、吐き出したことによりスッキリした感覚がありましたので、特に不安はありませんでした。それは肉体的に胃腸が弱いということだけでなく、溜め込んできた想いを吐き出しては捨てて行くという最初の一歩だったのだと、今は感じています。

◆様々な逆行を通して、自分の想いに気付き、薬を手放す

 治良を受け始めた頃、私は貿易関連の会社で働いていました。パソコンの前に座って細かい作業をしたり商品を発送したりと、肉体的にもハードな仕事をこなしていたためか、眼精疲労からくる肩凝りや頭痛、生理痛があり、痛み止めの薬は常に手離せない状態でした。
 治良を受け始めて三ヵ月ほどが経った頃、激しい頭痛がありましたが、それも「逆行」と捉えて「今回こそは自分の仙骨(せんこつ)を信じ切って絶対に薬を飲まないぞ」と決めました。蝶形骨の辺りがグワングワンと動く感じがしましたが、「明日の朝は絶対治っている」と自分に言い聞かせ、仙骨(せんこつ)に手を当てながら「お任せしよう」という心境になりました。そうしているうちに、いつの間にか眠りに落ち、翌朝はスッキリと目覚めることができました。そしてこの逆行から、このようにして仙骨(せんこつ)にお任せしていけばよいということを学びました。
 また、治良を始めて一年ほど経った八月の猛暑の日、実家に帰省しようと特急列車に乗ったとき、突然心臓が激しく鼓動し気分が悪くなり、すぐその列車から飛び降りました。駅の医務室で休んでいましたが、手足がしびれ段々と意識が薄れていき、「自分はこのまま死んでしまうのではないか」とぼんやりと「死」を意識しました。そのとき、私の両手両足に重い鎖が掛かっている感覚がハッキリと感じられました。その後、救急車で病院に搬送されて検査を受けましたが、別に異常はなく「熱中症と精神的なものからきた症状」と診断されました。
 MRT治良のお陰で身体の調子が良くなっていったのをいいことに、今まで通り頑張りすぎて、また大きく中真を外してしまっていたのですが、この体験を通して大きな気付きがありました。倒れたとき意識が遠のく中、手足に絡んでいた鎖は自らが付けた精神的な重りだと気付いたのです。「親孝行な娘、自慢の娘でありたい。献身的な妻でありたい。優しいお母さんでありたい...」そういう想いが自らを縛っていたのだと理解しました。この体験をしてからは、治良の度にもっと自分の深いところを見つめるようになり、一回一回の治良を大切にしていきました。
 その後順番に強い喉の痛み、激しい咳などが出ましたが、「理解すれば病気・症状は消える」という言葉を信じて淡々と治良を続け、気付いたらここ五年間、医療機関はもとより薬のお世話にもなっていません。

◆精神面での変化

 私と夫は同じ信仰を持って結婚しましたので、「夫婦とは、家庭とはこうあるべき」という理想像があり、それに当てはまらないと相手も自分も責めていました。
 疲れていても元気を装い、弱い自分、駄目な自分を隠し無理をしてきました。当然家族や周囲の人に対しても、自分と同じ要素が見えると相手を裁く想いが湧いてくるのですが、自分が「良い人、大らかな人」と見られたいが故に自分を偽り、本当の想いを伝えられず溜め込んでいました。それが中真に引き戻される度に吐き出す=嘔吐という逆行として現れたのです。
 治良だけでなく、『中真感覚の学び』に参加させて頂くうちに、次第に肩の力が抜けてあるがままを受け入れ、子供のときのように素直に物事を見られるようになっていきました。自分の今の状況、状態を否定せず受け入れられるようになると、周りの人に対しても同じようにあるがままを受け入れることができるようになり、優しくなれました。特に夫が私の気持ちを逆なでするようなことばかりする時期がありましたが、それを善と悪に振り分け自分も相手を批判してきたことに気付き、そのような自分さえも許して受け入れたら、夫の行動が気にならなくなってきました。
 物事を倫理的に善か悪かに分け、頭で分析したりして答えを出そうとしがちでしたが、RTの先生の「感じてみてください」という言葉にハッとしました。自分の感覚に素直になるだけでいい。こんな簡単なこともできなくなるほど、中真からズレていたことに気付きました。今は朝、散歩のときに野に咲く草花や小さな虫たちをじーっと見つめたり、空を流れる雲を眺めたり、身近なものから感じる機能を研ぎ澄ますように心掛けています。そして子供の頃から好きだった絵を感じるままに自由にまた描くようになりました。

◆家族の変化

 息子は、三歳の頃から気管支喘息と診断され、発作が起こる度に気管支拡張剤や点滴を投与するという生活と縁が切れませんでした。
 二〇〇六年四月、小学四年生になったときからMRTに通い出して、約半年が過ぎた満月の夜に発作が起きました。それまでは発作が起きたら早く楽にさせてあげようとすぐに薬を飲ませたり、身体に特別なシールを貼っていましたが、そのときの息子は激しく咳をしていても割とスヤスヤと眠っているので「逆行だ」と感じ、一晩中見守っていました。そして息子は明け方大きく咳をした際、ベランダに飛び出し大きな痰を吐き出しました。「ああこれでもう大丈夫だ」と二人で顔を見合わせ泣き笑いをしたのを覚えています。それを最後に、薬を飲むことはなくなりました。
 そのときは目の前で苦しんでいる我が子に何もしてあげられない親の無力さを感じて正直情けなくなりましたが、息子は自分の力で精一杯逆行を受け止め、喘息を手離していきました。その姿を見て、親は過度に愛情を掛けるのではなく、息子にもちゃんと備わっている中真感覚を信じて見守るだけでいいのだと実感し、とても楽になりました。
 その後、薬を手離した息子は、中学時代はバスケット部と合唱部を兼部し、穏やかな性格ながらも果敢に物事に取り組むようになっていきました。今年高校一年生になり、部活で畑作りをしています。この夏は日焼けした顔で収穫したジャガイモやキュウリをたくさん持って来てくれました。

◆母の死を通して

 母は六〇歳のときに両方の股関節に人工の骨を入れるという大手術をしています。家族のため子供のためと働き過ぎたのが原因の一つです。実家では父と母の二人で暮らしていましたが、父が認知症になり、その介護疲れと、医者からもう一度股関節の手術の必要を告げられて、心身ともに疲れていました。「もう二度と自分の身体にメスを入れたくない」という切なる想いから、二〇〇八年一一月から月一回、MRTに通うようになりました。
 母も信仰を持っていましたが、やはり外側の神仏に手を合わせ、自分の中の大きな力に気付かず、困ったことが起きると神頼みのようなところがありました。MRT治良を受けてからの母の大きな変化は、愚痴を言わなくなったことです。私が小さいときから、父を批判する言葉、他人のせいにしている言葉を母から聞かされてうんざりしていましたが、治良を受けるごとに母は自分に自信を持ち、徐々に本来の素朴で明るい母に戻っていくのを感じました。
 足のほうは調子が良かったのですが、二〇一〇年の一〇月末に大腸癌の検査を受けた後、「もう二度と細胞を傷つけたくない、手術を避けたい」と思っていた母は、検査の結果を聞きに行かずMRT治良に専念することに決めました(もしかしたら結果を聞かずとも癌であったことを感じていたのかもしれません)。
 二〇一一年の三月一日、母から「病院に入院した」と連絡を受けました。でもそれは母なりに精一杯MRT治良に専念し、自分の仙骨(せんこつ)を信じ切って出した最後の素直な行動でした。
 その後、二〇一一年三月一一日に起きた東日本大震災で、茨城県H市にある実家が被災しました。震度六強の地震でしたが、茶だんすの食器が割れたのと、本箱から本が飛び出したぐらいで、家屋などには全く損傷がありませんでした。それと同時に当時病院に入院している母の容体が急変し、危篤との知らせを受け動揺しました。しかし、結局、鉄道、道路共に寸断されてすぐに帰ることができず、母の最期を看取ることができませんでした。
 母が亡くなった翌朝に道路が開通し、すぐ帰省して母の顔を観た瞬間、そのあまりにも安らかで晴れやかな表情に驚きました。まるで楽しい夢を見ているように目元が柔らかく口元が微笑んでいたのです。MRT治良を精一杯続けて「死」を迎えた人の最後はこのように穏やかであることを見せて頂きました。またRTの先生より「お母様はご自分の役目を終えて逝かれたのですよ」とのお言葉を頂いたとき、まさにその通りであると感じ、長年の母と娘の愛憎という「業」と肉体の「死」に対する抵抗が消えてしまいました。

◆霊止乃道へ...

 私は思春期の頃から、人間はなぜ生まれ、何のために生き、そしてどこへ向かうのだろうという疑問があり、その答えを求めていくつかの宗教の教義を学びました。しかし本心が喜ばず、真に満たされないままでしたが、淡々と通うMRTが単に病気治しではなく、人の根本的な機能を目覚めさせるところであることがわかってきました。そして真理とはどこかに探しに行ったり、誰かに教えてもらうことではなく、自分の中真にあり、常にそこに意識を置いて行けば良いことがわかりました。ずいぶんと遠回りをしてきましたが、やっとここにたどり着けることができたという深い安堵感を覚えました。
 これまでの私の人生を振り返ると、人生は努力次第で変えられると思い込み、法則(神)に逆らった障害の多い人生でした。また「善と悪」「幸福と不幸」という二元の中でいつも振り子のようにゆらゆら大揺れを繰り返していました。そんな自分をもう卒業したくなりました。
 「不幸に見える現象も、幸せに見える現象も、全ては神を識るために自分自身が用意したもの。全て自分が創り出し、自分で映し出しているものである」という教示がスーッと中真に納まりました。今までの人生で出逢った人達、宗教の教え全てが、私を「霊止乃道」という大道へと導くための大切な「道標べ」であったと今、ハッキリとわかりました。
 人生は既に決まっています。これから起きる現象を素直に受け止め理解に繋げ、そして本当の自分、「真我」に出逢う日を楽しみに日々淡々とこの道を歩んでいきます。

※体験談は個人の感想であり、MRT治良の効果を説明・保障するものではありません。

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