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30歳で80歳の老婆のようだった私が、3人の孫の面倒を見るまでになった

  • (MRT博多 65歳 女性 H.H.)
  • 掲載日:2010.06.28

◆やっとたどりつけたMRT

 94年8月13日に、内海先生のご著書「医者がお手あげの病気は、『仙骨』で消せ!」さらに九月六日に「『仙骨』に無痛ショックを与えると病気は消える」を読んだのが、MRTに出会ったきっかけでした。本を読むと「やっとたどりついた」という思いが込み上げてきました。

 じっと見つめていたものが、ついに見えるときに経験する内なる喜びでした。「ああこれだ。やっとわかったぞ」という感情で、障害が大きければ大きいほど、後には強い「ユリーカ体験」(ある本に書いてあった感動を表す言葉です)が待っているのです。

 94年8月13日に本を読み、ちょうど盆休みが終わった8月22日、すぐにMRT博多に治良に行ったのでした。

◆出産後、階段から落ちて尾底骨を力一杯打ちつけ、後々それが病気の原因ではと気付き始める

 昭和36年、私が26歳のときのことです。最初の子供の出産後、階段の一番上から下まで一気に腰掛けた形で下まで落ち、下の三段はコンクリートで力一杯尾底骨を打ちつけて、翌日お尻を見ると尾底骨のところが真っ黒に内出血していたのでした。

 当時、26歳の若さで乗り切り、何事もなく過ごしていたように見えましたが、30歳のとき第二子を出産する前頃から尾底骨が痛み出し、物を前かがみで拾う姿勢が辛くなってきました。産婦人科で「尾底骨がおかしいのでレントゲンで調ぺて欲しい」と頼みましたが、「今、お腹に赤ちゃんがいるので出産後にした方が良い」と言われたのです。

 出産後は、足腰が立たない状態になってしまいました。それでも、3歳8ヶ月の娘と0歳児の息子のために、ベビーカーにしがみついて外出しなければいけないこともあり、両方の腋の下に松葉杖をついて、二人の子供のために頑張り抜きました。

 この頃の私は、30歳でまるで80歳の老婆のような姿であったと思います。

 当時、主人が不動産業をやっていましたので、その仕事の関係上、24時間勤務、それに加えて365日休みなく続く激痛のため、首は動かなくなり、背骨全体の痛みで寝返りも打てず、痛みのために熟睡もできませんでした。

 30歳、40歳、50歳はのたうち回る地獄のような苦しみで、色々なところ(整形外科、鍼治療、カイロプラクティック)で治療を受けていました。

 そのような中で、睡眠中に尾底骨の鈍痛に悩まされ、どうもこの全身の変形の元は仙骨にあるのではないかと薄々は感じていたのですが、それらの治療所では、木の枝葉である症状に少し手を加えるだけで本質的なことには気付いてくれず、治療家は誰も仙骨の治療のことを言う人はいませんでした。

 そのうち背骨は前後に、「くの字」に曲り、おまけにねじり飴のごとくねじれ、真っすぐ歩くこともできず、身体全体は宇宙服をまとって、その中に鉛を入れて歩いているような重たさになっていました。

 そして、私が46歳のときに、会社が三千万円の不渡り手形をつかまされ、倒産したのです。

 そのとき私は、「これで良かった」と肩の荷が降り、これからが本来の私が出せると感じました。

 しかし、どん底の生活苦の中にあって楽天うつ的な私も、長年の激痛と、生活苦によって鬱状態に陥ってしまったのです。そんな私を見て、主人は私がキリスト教系の学校を出ていることもあり、ある教会に入ることを薦めてくれたのです。そのとき私は50歳になっていました。

◆自分の足で歩くのが本当ではないかと気付く

 その教会の教えは、「絶対に助けてくださいます」というものでした。

 最初の3年間は無条件に信仰していましたが、3年経って「少し違うのではないか」と思い始めました。それからさらに3年が経った頃、「絶対に助けてくださいます」の教えに「一生しがみついていて良いのだろうか?このままの依存心では幼児的人間にしかなれない。自分の足で歩いて行くのが本当なのではないだろうか」と思えるようになり、教会を脱退したのです。

 その後に、やっと内海先生のご本に出会ったのでした。

◆気付かないうちに姿勢が良くなっていた

 94年8月22日から治良に通い始めて4ヶ月が経った頃、私自身は気付いていませんでしたが主人から「お前、猫背が治って姿勢が良くなったね」と言われました。

 ただ黙々と「おはようございます」「ありがとう」と治良に通っていたのです。当時、人と話をするのも、人と顔を合わせるのも大義に感じ、治良がすむとスーッと帰るという状態で、地面ぱかりみて歩いていた私でした。

 いつの頃からか、治良を受けた日は身体がよく動き家事がはかどるようになり、治良に行くのが楽しみになっているのでした。

 そのうちに、堅くなった筋肉がもつれた糸をほぐすようにポチッポチッと離れて行き、その後、血行が良くなったように首から後ろ頭にかけてポーッと暖かくなる。そんな変化まで感じとれるようになりました。また、長い間痛みを伴う生活だったので、身体を動かす度に「痛っ、痛っ」と言う言葉が口癖になっていましたが、いつの間にか「痛っ」を言わなくなっていることに気付き、少しずつ少しずつ強ばった身体全体が緩んでくるのをうれしく感じました。

 また、主人にも言いたいことがポンポン言えるようになり、「お前は変わったなあ」と主人は言いますが、私から見れば主人も随分変わってきたのです。

◆孫の問題から物の見方が変わってくる

 MRTを受け元気になってきた頃、遊びにくる3歳の双子の孫の様子がおかしいのに気付き始めました。

 子供を見ていると、その家庭環境がわかると言いますが、孫はその父親から幼時虐待を受けていたのです。そして、娘も心身ともに疲れ、気が狂ったようになり、我が家に逃げ込んできました。

 そのような問題を抱え、気持ちが落ち込んでいるときでも、治良を受けると途端にネガティブな気持ちが前向きになるのを感じていました。

 そんなことを繰り返しているうち、「その現象を見せられることで、私に何を理解させようとしているのだろう、今まで見ようとしなかったものを見せられているのだ」と理解し始めると、何が起こっても物事を楽しんで見るようになり、面白いなと思えるようになってきたのです。見る方向を変えると、違ったものになるのです。

 今まで他人と接したり、話をするのを嫌がっていた私が、積極的に話しかけることにより、固定観念で見ていた人が、全くそうでない人尤ったとわかったときの驚き、自分の周囲が面白く、楽しく接していけるようになりました。少ししか見えなかったものが大きく見えるようになり、今では明るさをふりまいています。

 今回、体験談のご依頼があったとき、書きたいことは山ほどあるのですが、何をどのように書こうか迷ってしまいましたが、書いていくうちに、自分の内側が整理され、文章を書くということは、実に自分のためになるということがわかりました。

 激痛の苦しみの泥沼の中でのたうちまわ回り、しまいには動けなくなった状態から、この5年の間に5人の孫が生まれ、その世話ができたのも、MRTを受けていたからだと思います。

 3人の孫の面倒を見ることができ、今の私なら娘と孫を心身ともにバランスの良い状態に戻せると、自信を持って見守ることができるのも、5年前にMRTに出会い、ちゃんとその心の準備ができていたからだと思います。

※体験談は個人の感想であり、MRT治良の効果を説明・保障するものではありません。

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