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度重なる気胸に現代医学の限界を感じていた私。姉から紹介されたMRTで今ではアルバイトが出来るまでに

  • (MRT恵比寿 28歳 女性 M.S.)
  • 掲載日:2010.06.24

◆自覚症状もあまりないまま腎腫瘍の手術を受ける

 私が大学院に進学して1年目の1994年のことです。ある日、左の腹部が異様に出っ張ってきているのに気が付きました。

 翌年の年明け早々には、左の腎臓の辺りに大きな腫瘍があるらしいということがわかり、緊急扱いで入院することになりました。

 そして、2月14日に腫瘍の摘出手術を受けました。輸血を伴う五時間半の大手術で、摘出した腫瘍の大きさは拳大ほどで、重さも800グラムくらいあったと聞きました。また、左の腎臓だけでなく、右の方にも2センチほどの小さな腫瘍が複数あったのですが、それらは早急に危険ではないと判断され、そのまま経過を見ることになりました。

◆1年後、卵巣膿腫の手術を受けることに

 その1年後、1996年の4月には、同じ病院で、腎腫瘍の手術のときに発見された卵巣膿腫を摘出する手術を受けました。

 卵巣膿腫自体はそれほど急いで取らなければならない状態ではなかったのですが、前回の手術に比べて簡単だと説明されたこともあり、医者の薦めるままに手術を受けました。

 そのとき驚いたことは、手術の最中に子宮筋腫が見付かり、執刀していた先生が、「子宮筋腫があったので、これも取っておきますね」と言って、簡単に取ってしまったことでした。そのときは、手術というものは、私たち患者が思っているよりもずっと手軽で簡単なことなのだと思いました。

 この卵巣膿腫と子宮筋腫も、自覚症状は全くなかったので、手術をしても、そのときに痛くて辛いだけで、その後は"喉元過ぎれば熱さ忘れる"といった感じで、それほど辛い思いをしたという感覚はありませんでした。

 しかし、2回の手術と輸血をしたことで、確実に身体が変調をきたし、勉強に全く身が入らなくなり、修了論文の執筆がほとんど進みませんでした。ゼミに参加することも段々苦痛になり、以前のように楽しく勉強することができなくなってしまいました。

 この頃から、家族の顔をみるとイライラして不満がつのるようになり、家を出て行きたくて、論文の執筆を理由に、一人暮らしを始めました。

 また、とにかく自立をしたかったのでアルバイトも増やしました。そして、アルバイトが忙しくなったことで、結局論文の提出を諦めたのでした。

◆その一年後、『気胸』になり、突然倒れる

 卵巣膿腫の手術の1年後の3月10日の明け方に、突然"ピキーン"という音がして、背中に激痛が走り、非常に息苦しくなりました。翌日、用事があって出掛けたのですが、息ができなくて段々歩くこともできなくなり、爪や唇にチアノーゼが出て、最後には最寄りの駅から5分のアパートまでの距離が歩けずに、タクシーで帰ったほどでした。

 そして、その翌日、近所の救急指定のH病院に駆け込み、レントゲンを撮ったところ、左肺が完全につぶれていると診断されました。それは、肺に穴が開き、そこから空気が胸腔内にもれ肺がパンクした状態になる『気胸』という症状でした。即H病院に入院し、胸腔にドレーンを入れて胸を膨らませ、絶対安静にして肺の穴が自然にふさがるのを待ちました。

 気胸自体は、若くて背の高い男性にはよくある症状らしいのですが、私のように背の低い女性にはほとんど見られないそうで、原因もよくわからず、また、レントゲンやCTの結果、どうも肺の中に影のようなものが多く見られるので、一度もっと大きな病院で検査をしてもらった方が良いということでした。

 そうこうしているうちに、1週間が経ち、絶対安静を続けたにも関わらず、穴がふさがらなかったので、抗生剤を胸腔に流し込んで、炎症を起こさせ、人為的に肺と胸腔をくっつけてしまうという、癒着術と呼ぱれる治療法を執り行うことになりました。

 医者が言うには、癒着術は比較的簡単で効果的な治療法であり、多少苦しいけれども、再発の可能性が減る、ということでした。

話には聞いていましたが、実際に癒着術を行ったときの痛みは、想像以上のものでした。胸腔に抗生剤が流し込まれると、胸の中を炎で焼かれるような激痛が駆け巡り、痛くて苦しくて、ただ獣のように叫ぶことしかできませんでした。炎症を起こすことが目的なので、痛み止めも使えず、炎症が収まるまでの約30分間を、死ぬかと思うような激痛に、うめきながら、ただひたすら耐えるだけなのです。

 癒着術の甲斐があって、その後、退院できましたが、あの痛みのことを考えると、もう2度と癒着術はやりたくない、と強く思いました。今でも、癒着術の痛みを思い出すと、背筋がぞっとするほどの恐怖を覚えます。

 退院した後、医者の「肺に異常があるかもしれないから、大病院で検査をした方が良い」という言葉を気にかけてはいましたが、そのときは演劇の公演や教員採用試験のことなどで忙しく、一段落したら行けば良いと思っていました。

◆難病を宣告され、現代医学の限界を知る

 教員採用試験を2日後に控えた7月11日、アルバイト中に突然右の肺の中で何かがはじける音がし、「まずい」と思ったとたんに息苦しくなってきました。さては気胸かと思い、今度は近所でも最も大きな公立の総合病院であるS病院に急患で駆け込みました。結果は、やはり気胸で、そのままS病院に入院することになりました。

 そこで、過去の病歴などを申告した際に、女性が度々気胸を起こすのはどうも様子がおかしいということから、担当医となった呼吸器科の先生が、色々と学会誌等で調べてくださいました。その結果、『びまん性過誤腫性肺脈管筋腫症』という病名の疑いがある、と言われました。

 S病院で撮った精度の高いCTを見ると、確かに、担当医の説明通り、私の肺には、左右ともたくさんの小さな黒い穴が存在し、空洞のように見える大きな穴も見受けられました。

 この病気は、日本ではまだ100~200例しか報告されていない極めて稀な病気で、20代から40代くらいの女性にしか発症せず、肺の組織内にたくさんの気泡が発生して肺の機能が低下し、進行すると肺の空洞化が進んで呼吸困難を引き起こすとのことで、まだ効果的な治療法も確定していないとのことでした。

 結局、8月中にまた癒着術を行うことになりましたが、9月になると、左が癒着すると右が気胸を起こし、まだ治り切らないうちに左が気胸を起こす、というような感じで、1週間に1回は気胸を起こしていました。左右の両方の胸腔に1週間ドレーンを入れたままの状態のときもありました。

 そして、このような状態がこれからずっと続くのかと思うと、何を考えてもネガティプになってしまい、まったく未来が見えないような気持ちになりました。退院しても元気にやっていく自信がなく、初めて「死ぬ」ということをとても身近に感じました。

 S病院では、担当医を始め、呼吸器科の部長や薬剤師の方々が、落ち込む私に対して、大変に尽力してくださいました。しかしながら、日本では治療例が少なく、欧米ではこの病気の治療は臓器移植が中心であるため、効果的な治療法が見付かっていないとのことで、治療の目度が立ちませんでした。そして、病気が進行したら、最終的には肺の移植を視野に入れるように、ということを言われていました。(その場合、日本では移植できないので、外国まで行かなくてはなりません)

 そのようなことが積もり積もって、どんなに先生方が力を尽くしてくださっても、先生方にはできることとできないことがあり、医療行為にも限界があるのだということがわかってきました。

◆姉からMRTを招介される

 その頃、MRTに通っていた姉が、私の様子を見かねて、MRTの話をしてくれました。

 姉が病室へ持ってきてくれた内海先生のご著書『「仙骨」に無痛ショックを与えると病気は消える』と『医者がお手あげの病気は「仙骨」で消せ』を、繰り返し繰り返しベッドで読み、MRTに行きたいと思うようになりました。

 何しろ、それまで治療法がない、移植しかないと思って戦々恐々としていましたから、何もしないで後悔するよりは、と、ワラにもすがるような気持ちでした。MRTが、唯一と言って良いほどの、希望のような気がしたのです。

 10月になって、気胸が少し収まり、ドレーンも外れてしばらく経っていたので、S病院から、以前、腎臓と卵巣の手術を受けたT病院へ転院しました。肺の病気が、原因不明ながら腎臓の腫瘍と関係があるらしいこと、また、T病院にこの病気の治療を行ったことがある先生がいることが転院の理由でした。こちらで、新しく始まるホルモン治療の準備をしながら、10月の終わり頃、外出の許可を取って、姉にMRT恵比寿に連れていってもらいました。

◆MRTを訪れ精神的な安定を取り戻してく

 初めてMRTに行ったときは、2ヶ月も入院していましたから、とにかく外出できることがうれしくて、また、RTの先生に病気に対する不安な気持ちを聞いて頂くことができるだけで、精神的な安定を取り戻していきました。病院ではホルモン治療が始まっていたのですが、それから、週に1回の割合で、外出許可を取り、MRTに通うことが入院中の楽しみとなりました。

 通い始めてすぐに、いつの間にか歯の咬み合わせが変わっているのに気付きました。今まで上下の前歯の間に隙間があって物を噛み分けることができなかったのが、気が付くと咬み合うようになっていたので、大変驚くとともに、その効果を確信しました。

 今思えば、これが顕著な逆行が出た初めてのことだったのですが、5回目の治良を受けた翌日、左肺に気胸を起こしてしまいました。すぐに癒着術を行いましたが、以前ほどの苦しみもなく、また、癒着後の経過も順調で、今までの気胸に比べて、短期間でドレーンを抜くことができました。

 その後、多少の不安はありましたが、気胸も落ち着いたので、12月の頭には退院し、長かった入院生活も終わりました。

 現在でも月に1回のホルモン剤の注射は欠かせませんが、MRTに通い続けていればそれもいつかは必要がなくなるだろうと思っています。

◆MRTを受けてアルバイトを再開できるほど元気になる

 退院してからは、なるべく散歩をすることを心掛け、日常生活でも焦らず、無理をしないようにしました。3月くらいまではまだまだ息苦しいことが多く、病人のようでしたが、4月から専門学校の講師のアルバイトを再開し、徐々に色々なことをやっていけるようになりました。秋には大学院に復学し、修了論文を提出することを目標にしています。

 時々逆行が出て、呼吸が苦しくなったり、胸に痛みが走ったりしますが、逆行を体験するにつれて少しずつ身体が楽になり、呼吸が楽になっていくことを実感しています。それは、私にとって本当に大きな喜ぴです。

 また、あんなに大きかった気胸の再発への恐怖心も、今ではほとんどなくなりました。まだ時々は恐怖にとらわれることがありますが、その度に無事に過ごせる自分自身に感謝し、自由に身体を動かせることの喜びを噛みしめています。

 とにかく、MRTに通うようになって一番の変化は、これからの人生に希望がたくさんあると思えることです。今はまだできないことが多くても、まだまだやりたいことをやれるチャンスがある、と思うだけで生きていることが幸せだと思えます。

 また、今までの自分は、一人暮らしに執着して不自由していましたが、病気になって、一人暮らしができなくなり、家族と暮らすことになってみると、あれほどうっとうしいと感じていた家族が、改めてとても大切なかけがえのないものに思えました。

 私は、長年演劇や管弦楽などをやってきましたが、色々な症状、特に肺を患ってからは、「もう今までのように、演劇や音楽ができない」と思っていました。でも最近になって、決して原因が演劇や音楽にあるのではなく、自分の身体の声を聞かなかったことが原因であるということがわかってきました。

 それまでの私は、何度入院しても、自分勝手な生活を変えませんでした。振り返って見ると、無理や不摂生を続け、病気や入院の意味も、あまりよく考えていませんでした。また、学校や職場においても、いつも目の前のことをがむしゃらに片付けるということを繰り返しながら、いつかはきちんとしなけれぱ、と焦るばかりで、実際には自分の身体を顧みない生活を送っていたのです。

 今回の入院で、どん底まで落ち込んでみて初めて、まだ私は何もしていないということに気付きました。そして、これからはチャンスがあれば、焦らず少しずつやっていきたい、と思うようになりました。

 今回の病気は、今まで何回も病気をし、入院を繰り返していても懲りなかった私に、これからの生き方を考えさせてくれるものだったと思います。

 これからも、小さなことにも喜びを感じられることの幸せを噛みしめながら、いつか病気に左右されない日が来ることを期待して、無理をせずに坦々とやっていきたいと思います。

※体験談は個人の感想であり、MRT治良の効果を説明・保障するものではありません。

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