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13歳で鉄棒から落下、あの日から 全ての感覚器官がおかしくなったが、 "全ては仙骨から"と理解後、 大きな逆行を経て感覚が蘇った

  • (MRT大宮 46歳 男性 栃木県 I.H.)
  • 掲載日:2018.03.12

◆鉄棒から落下し人生が激変する

 13歳の頃、体育の時間に鉄棒で懸垂をしていたときに1.5メートルほどの高さから不意にドサッと落ちて腰(仙骨)を強打しました。落ちた瞬間から自分が今、どこにいて何をしているのか、つい今までの状態がわからなくなってしまい、周りの景色が突然シェードが掛かったようになり緑色掛かったように見えて、近くの友達が心配そうに声を掛けてくれても、声がすごく遠くのほうに聞こえ、周りが騒いでいるのをボーッとした意識になって見ていました。なんとか我に返ったものの衝撃が大きすぎて、それ以来、身体の感覚がおかしくなってしまいました。
 声が間接的に聞こえ、手で物に触っても直接触れていない、間に何か異物が挟まって触っているような感じで、それ以来、食べ物の味がほとんどわからない状態になりました。
 小学校の陸上競技では短距離走、走り幅跳びと学校代表で大会に出場するなど活発な子供でしたが、中学のこの日を境に全く変わってしまいました。
 後に、MRTに出会ってから腰の一番重要な仙骨を直撃したことで、性格が激変したのがわかりました。そして、それまでは快活な子供だったのが、その日を境に陸上をやめて美術部に入り、ひたすら黙々と絵を描くような内向的な性格になりました。スポーツが全然できなくなり、1つの動作をするのでも複数の関節を経由してガクン、ガクンと伝わっていくような感覚になり、自分の身体なのに手足が自分の身体ではなく、ちゃんと動かない鈍いロボットを操作しているような感覚でした。

◆快活なあの頃に戻りたくて、無理して走ろうとしていた

 身体の感覚がわからない状態のまま高校へと入学しました。活動的だったあの頃にどうしても戻りたくて、高校では陸上部に無理やり入部しました。全身をゴムバンドで縛られたようなギクシャクしたロボット状態で、さらに長いブランクもありましたが練習をやり続けました。ところが無理に練習をやり続けて頭痛や全身のしびれがピークになると、ちょっと身体を動かしただけでも異常に発汗するようになりました。「もう無理」、と限界を感じて陸上部を退部しましたが、それは自分にとって人生から隠居することと同じでした。まだ18歳なのにこれからは隠居する気持ちで生きて行こうと思いました。死のうとは思いませんでしたが、隠居老人として生きる覚悟を決めました。そのときに心の支えになっていたのは文学小説でした。文学に接しているときだけが一時であっても感情を高ぶらせて気力を保つことができました。この間にも母親が心配して探してくれて、いろいろな民間療法に指圧、整体などにも通いましたが元気になることはありませんでした。
 そうした年月を経ながら大阪の大学に入学し、大学の寮で知り合った友達に過去にあったことを全部話したところ、わざわざたくさんの書店を巡って『「仙骨」に無痛ショックを与えると病気は消える』という御本を探してくれて、読後に「この本は君に合うと思うから」と御本を渡されました。御本の内容が「本当かな」と、にわかにはわかりませんでしたが、「何とかしてもらいたい」という思いで友人に付き添ってもらい、帰省を兼ねて1990年7月に初めて大阪から東京・恵比寿の当時のMRT本部(恵比寿)で治良を受けることにしました。

◆MRTを受けてみるも最初は何もわからなかった

 治良後の変化はよくわからなかったのですが、すがる気持ちと切羽詰まった状態でもあり、とにかくMRT治良を続けてみようと思い2回目の治良からは大学の寮から通えるMRT梅田で受けることにしました。3~4回の治良を受けた後に以前からあったあごの内側のゴムのような石のようなゴリゴリした塊が、寝ている間に取れ始めて、10回目ぐらいの治良後に、ゴリゴリのゴマ粒状の塊が水泡に変化して完全に取れてしまい、「これはMRT良法には何かがある。長い間探し求めて21歳になってやっと本物に出会えた」と直感しました。
 元々、一見人当たりは良いように見えて、人と腹を割って話すのが苦手な傾向がありましたが、MRT治良を受けてからは性格が少し前向きに変わったようで、大学の授業にも出席したくなりました。しかし、大学の寮での上下関係が厳しく、そのストレスが積み重なると、MRT治良に通って心身のバランスを保つようにしていました。
 当時の症状は脊柱側弯症、頭痛と仙腸関節の歪みを抱えての辛い状況でしたが、これは中学時代に鉄棒から落下して仙骨を強打したことが原因であり、肉体的にも精神的にもガラッと激変したのは大事な仙骨を歪めてしまったためであることを、MRT治良を受けることで理解することができました。
 寮で『「仙骨」に無痛ショックを与えると病気は消える』を何度も読み返すうちに、段々とこの御本は真実であることが、心に沁みわたってきました。この頃になると、文学ではなくMRTが心の支えになりました。
 MRTを受けて原因不明の高熱と下痢が3日間続き、飲んだ薬の溶けたレモン色した鼻汁が出て症状が治まりました。そうすると清々しい気持ちになり久しぶりに気持ちの良い散歩ができました。こうして何度もの逆行を経るごとに、一皮ずつこの身体が治っていっているのだと実感できました。
 そうして社会人になって実家の栃木に戻ってからも欠かさずMRT宇都宮に、後にオフィスが移転してからはMRT大宮へと通うようにしていました。

◆身体の感覚がまたがらりと変わる

 20代の頃、あるとき職場で図面の仕事をしていると仙骨が動き、腰椎、胸椎、頸椎の順に圧力が掛かり、どこかの骨がピーッと音がして次の瞬間、脳がグリンと動いて、おそらく蝶形骨ではないかと思いますが、そして全身がカーッと熱くなったかと思うと、今までの職場の殺風景な景色が色鮮やかに一変したのです。白黒の世界から一気にカラーの世界に飛び込んだような感覚です。今まで重ねてきたMRT治良で直接に物を触っている感覚は回復してきていましたが、今回のように一気に来る大変化には驚きました。1回の大きな変化があるために99回の治良があるとRTの先生より聞いていましたが、今までの治良の積み重ねによって今、まさに長い間封印されていた感覚が蘇ってきたような体験をして、MRT治良の奥深さを実感しました。

◆父が病気で倒れ介護に専念する

 私が33歳のときに、父が現代医学では難病である筋萎縮性側索硬化症(ALS)になり倒れてしまいました。当時は設計の仕事をしていましたが、今まで病気だった自分を支えてくれたのは両親であったので、現状では仕事と介護の両立は無理と判断し、思い切って設計会社を退職し父の介護に専念することにしました。
 「親父、もう少し頑張れば桜の花が観れるよ」と話していましたが、およそ2年間の闘病生活を経て2004年3月、ちょうど桜が咲く季節に父は自宅で眠るように逝きました。その間にはMRT治良も受けることができ自分としてはできるだけの介護をしてやり切った感があり、家族は泣いていましたが絶望的な悲しみはなく、1つのプロセスが終了したと受け止めることができました。これもMRT治良を受けていて、死が全ての終わりではなく、次元が変わっただけで魂は永遠であるのを頭の私が納得しようとしているのではなく、感覚として死を淡々と受け入れており「そうだ、中真感覚が発露している」と感じ入りました。

◆道を感じて生きていきたい

 MRTを長く続けているとこれは単なる治療ではなく「道」を説いていることがわかり、このまま進んでいけば良い。それしかない。それで十分だと思っています。「道」とは何ぞや、と問われても口で言えるものではなく、観じていくものと捉えています。
 現在、郵便局の非正規雇用で働いていますが、社員をうらやましく思うことがなくなりました。出世競争は時間の無駄、物質的な豊かさを追うより、魂の進化、成長のためにこの人生の時間が与えられていると観じていますので、世間からすれば全く違う価値観で生活している自分がいることに今更ながら驚きますが、自分が展開している現象と観ればそれもまた良し、として淡々とこれからも歩んで参ります。

※体験談は個人の感想であり、MRT治良の効果を説明・保障するものではありません。

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