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    <title>ＭＲＴ本部オフィシャルウェブサイト ～ＭＲＴ仙骨瞬間無痛良法（仙骨療法）の専門治療院～</title>
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    <updated>2012-05-02T09:53:52Z</updated>
    <subtitle>ＭＲＴは、微弱な磁気で人体の中心に位置する『仙骨』のわずかな変位を正確に読み取り、瞬間・無痛に調整する元祖仙骨療法です。1981年の創設以来30年以上にわたり、全国14ヶ所のＭＲＴで延べ300万人以上の実績があります。</subtitle>
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    <title>最新の体験談を3件追加しました。 - TOPICS</title>
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    <published>2012-05-02T09:53:23Z</published>
    <updated>2012-05-02T09:53:52Z</updated>

    <summary>各地のＭＲＴの3件の験談を追加いたしました。内容は最近の体験談のコーナーでどうぞ...</summary>
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        <name>アイディデザイン</name>
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        <category term="ＭＲＴからのお知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<p>各地のＭＲＴの3件の験談を追加いたしました。内容は<a href="http://mrt-jp.com/experience/">最近の体験談</a>のコーナーでどうぞ！</p>]]>
        
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    <title>坐骨神経痛とアトピー性皮膚炎を通して仙骨の大切を識り、『霊止乃道』の御著書によって守護乃神霊に繋がり、霊止乃道に導かれる - 体験談のご紹介</title>
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    <published>2012-05-02T09:48:19Z</published>
    <updated>2012-05-02T09:51:35Z</updated>

    <summary>◆坐骨神経痛を通してＭＲＴに出会い『仙骨』の大切さを識る 　高校生の頃、私は、歌...</summary>
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        <name>アイディデザイン</name>
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        <category term="ＭＲＴ銀座" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="アトピー" label="アトピー" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="メニエール" label="メニエール" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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    <category term="坐骨神経痛" label="坐骨神経痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="守護" label="守護" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆坐骨神経痛を通してＭＲＴに出会い『仙骨』の大切さを識る</p>
<p>　高校生の頃、私は、歌や踊りに打ち込み、友人とバンドを組んで音楽活動やダンスのレッスンに励んでいました。そんな一九歳のある日、左足の付け根に違和感を覚えました。最初は「何だか変だなぁ」くらいに思っていたのですが、そのうちカクカクと骨が外れているような音がするようになり、やがて激痛となって歩くことさえ辛くなってきました。痛みを取り除いてもらおうと、接骨院、整体、鍼、カイロプラクティックなど、良いと言われるあらゆる治療法を転々としたのですが、「坐骨神経痛」という病名がわかっただけで、一向に回復の兆しはありませんでした。二三歳のときに、ふと立ち寄った書店で師尚の御著書である『神秘の骨「仙骨」に無痛ショックを与えると病気は消える』を目にし、そのとき『仙骨』という言葉が無性に気になって、その御著書を手に取ったことを、今でもよく覚えています。<br />　御著書を読み終えてから、ＭＲＴに予約の電話を入れ、「今度こそ...」という思いと、『仙骨』という一筋の光に導かれて、初回の治良に臨みました。あまりにもあっさりと治良が終わってしまい物足りないような感じもしたのですが、その日の帰り、痛みはまだあったもののなぜか気分が良く、このまま続けてみようという気持ちになりました。最初の一ヵ月は週に二回のペース、そしてその後の一年間は週に一回のペースで治良を続けていたところ、いつのまにか坐骨視神経の痛みも軽減し、仰向けに眠ることもできるようになっていました。そしてその頃から次第にＭＲＴ治良から足が遠のいていきました。</p>
<p>◆手話通訳の仕事を通して、自分自身の中真のズレが観えてくる</p>
<p>　私の紹介で、一九八八年からＭＲＴ治良に通い始めていた母親が淡々とＭＲＴに通い続け、どんどん元気になっていく姿を見て、その頃二八歳になっていた私も、再びＭＲＴ治良に通い始めました。<br />　そして公務員として仕事をしていた三〇歳の頃、窓口業務で耳の不自由な方の接客をするために、一九九五年一一月から手話通訳の勉強を始めました。手話通訳は、自分の耳に入ってきた言葉を、頭の中で手の動きに置き換えて連続的に表現するもので、とても頭を使いエネルギーを要します。<br />　そんなある朝、目覚めるとめまいがして、身体がフラフラして足元がふらつき、まっすぐ歩くことができなくなり、病院で検査を受けたところ、「メニエール病」と診断されました。その後、めまいと耳鳴り、それに加えて左耳も聞こえが悪い状態が続きました。病院で何種類かの薬をもらいましたが、飲まずにＭＲＴ治良だけは毎週一回通うようにしていたところ、半年ほどで症状が出なくなりました。一安心したのもつかの間、今度は一旦治まっていた幼少の頃から一八歳頃まで出ていたアトピー性皮膚炎の症状が、無理をするとすぐに出るようになってしまいました。<br />　ところがその後、結婚して子育てが一段落した三四歳頃になると、いつも無理して周りの人に合わせている自分に気付き始めました。そのことがわかってからは、自分の細胞に耳を傾け、その声に従う生活に変わり始めた頃から、アトピー性皮膚炎の症状も、すっかり消えてしまいました。</p>
<p>◆車の事故から、守護乃神霊の存在を識る</p>
<p>　二〇〇四年の二月、私がＭＲＴの治良を受け始めて一五年経った頃、家族でスキー旅行に出掛けたときのことです。娘達を後部座席に乗せて走っているときに、路面が凍結している下りの坂道でブレーキ操作を誤り、タイヤがロックして、私達の乗った車はコントロールを失い、凍った路面をスピンしながら坂道をかなりのスピードで滑り落ちていきました。ガードレールに激突して、ようやく車は止まりました。正気に戻り、娘達の無事を確認してから車の外に出てみると、車のフロント部分が大破していました。ところが驚いたことに、私が左膝を少しぶつけたくらいで、誰一人ひどいケガはしておりませんでした。反対車線を走ってくる車が一台もなかったため、対向車との激突事故も免れました。<br />　ＭＲＴ良法を続けていると、大難が中難に、中難が小難に、そして小難が無難になると伺っておりましたが、私はこのとき、まさにその通りであると思うと同時に、守護乃神霊に守られていることを確かに感じたのです。</p>
<p>◆道術の稽古を通して、毎日を楽に過ごせるようになる</p>
<p>　二〇〇七年二月より、当時千葉のＭＲＴ本部にて月一回開催されていた『中真会』にて道術の稽古に参加させて頂くようになりました。初めての稽古では、相手の方に「肩に力が入り過ぎていますよ。いつも力を入れているのではないですか？」と教えて頂き、普段、いかに力を入れて生活を送っているのか、身をもって知ることとなりました。道術で力を抜くことができるようになってからは、実生活でも力を入れることなく、意識を自分の中真である仙骨に下ろすようにすると、楽に過ごせるようになっている自分の姿がありました。</p>
<p>◆『霊止乃道』で学ばせて頂いたこと</p>
<p>　師尚より、「人には守護乃神霊がついていて、二人羽織りのようにして自分の後ろにいつも寄り添い支えてくださっている」と御教示頂いていますが、『霊止乃道』に参加できるのか迷っているときも、次々と条件がそろい、私が『霊止乃道』に行くときには、両親が子供達の面倒を見ていてくれるようになるなど、私自身の身動きが自由に取れるようになったことは、何より、守護乃神霊の御力添えがあったからだと感じています。<br />　どんなに自由自在になれるかと期待していたのですが、実際には、苦しくなったり辛く感じることもありました。<br />　それは、これまでの人生で、いい人でいなければいけない、いい母親でいなければいけないと思い込み、自分のことをいつも後回しにして、家族のために、子供のためにと生きてきたことで、そのために、本当の自分の中真の声に蓋をして、いつもいい自分を演じていたことから来る苦しみであることが次第にわかってきました。</p>
<p>◆種観霊を重ね、人を「霊」として感じ、見えない世界への意識を高めていきたい</p>
<p>　最近、若い頃に熱中していた歌の音楽活動の経験を活かし、歌謡曲や演歌の歌のレッスン教室の仕事をしています。その中で、予め組まれている歌のレッスン用のカリキュラムに従って受講生に教えているのですが、なかなかうまくレッスンが進まないこともあります。<br />　そういうときは、自分の中真を意識して、受講者との一体感を保ち、歌の上達レベルやその方の体調を感じながらレッスンを行うと、スーッとその場が調い、お互いに有意義な時間が流れていくことを実感しています。<br />　そのような意識で日常を過ごしていると、全ては繋がっていて、今までの現象が何一つ無駄のないことがわかってきました。<br />　また、一緒に暮らしている家族や友人をはじめ、自分の周りの全ての人を「霊」として観ることで、その存在によって自分の中真のズレを教えてもらっていることに気付かせてもらいました。見えない世界への意識を高め、お互いの人の本体である「霊」と「霊」との繋がりを深めていきたいと感じています。</p>
<p>◆自分の体験談を書くことで観えてきたもの</p>
<p>　今回、この体験談を書かせて頂くことで、自分の人生を振り返り、これまでの現象がパズルのピースをはめるように、一つに繋がりました。つまり、自分自身に顕れる病気や症状は、自分自身の中真のズレを身体が教えてくれるサインであるということに気付くようになったのです。最初にＭＲＴに通う切っ掛けになった坐骨神経痛は、ダンスが上達したい一心で、身体の柔軟性を高めるために、細胞の発する痛みを無視してストレッチを無理やりしていたことが原因でした。メニエールの症状については、仕事とはいえ頭の中で言葉を手の動きに置き換えると手話を長くするととても疲れるのに、無理を重ね続けたことによる頭脳回路の使い過ぎに対する警告であったことがわかりました。<br />　そして、アトピー性皮膚炎は、自分の本心に蓋をして、自分の中に溜まってしまった想いを隠して、頭の自分で行動していることへの細胞からの警告であることが観えてきました。<br />　なぜ、今の私があるのか、自分に顕れた病気や症状を通して紐解けた気がしております。<br />　この度、貴重な機会を与えてくださいましたことに感謝致します。<br />　これからも、霊止にかえるべく、守護乃神霊の存在を頼りに、また、守護乃神霊との対話をしながら霊止乃道を歩んで参りたいと思います。</p>]]>
        
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    <title>ＭＲＴ治良を続けていくうちに、生きることの目的を真に識り得た - 体験談のご紹介</title>
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    <published>2012-05-02T09:43:29Z</published>
    <updated>2012-05-02T09:47:09Z</updated>

    <summary>◆突然訪れた母の死により、生きることさえ辛く感じた日々 　今から一三年前のある日...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
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        <category term="ＭＲＴ博多" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="死" label="死" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="死の恐怖" label="死の恐怖" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="生きることの目的" label="生きることの目的" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="高熱" label="高熱" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆突然訪れた母の死により、生きることさえ辛く感じた日々</p>
<p>　今から一三年前のある日、母から突然電話が掛かってきました。｢お母さんは、これからもうあなたには何もしてあげることができなくなるからね。でも、子供達もいるから大丈夫ね」と、それだけ言って切れた電話のことが少しは気にはなっていたのですが、その予感のとおり、それから一週間後に母は自宅で倒れました。前の日から「お腹が痛い、痛い」と言っていた母は、搬送先の病院であらゆる検査を受けるもはっきりとした原因が分からぬまま、その日の夜、帰らぬ人となりました。<br />　母親っ子で母が大好きだった私にとって、突然訪れた母の死の衝撃はあまりにも大きく、生きていることさえ辛く観じたほどでした。悲しみの極みの中で悲嘆に暮れる毎日を送っていた私の姿を見かね、当時まだ小学生と高校生だった三人の子供達が「おばあちゃんが死んで悲しいのは、おかあさんだけじゃないよ。私達も同じなのだから...」と私を気遣い、慰めてくれていたほどでした。</p>
<p>◆あちらの世界で元気な母に再会したことにより、母への想いが立ち切れた</p>
<p>　母の死からちょうど一年が経った命日にあたるその日、私の身体が変調をきたし、四〇度近い原因不明の高熱にうなされる日が丸二日間続きました。そしていつしか、私はあちらの世界に足を踏み入れていました。<br />　見渡す限り辺り一面に花が咲き乱れ、空気は澄みわたり、それはそれは美しく穏やかな風景が目の前に広がっていました。そしてそこにはきれいな川が流れ、川のほとりを、愛してやまない母が静かに歩いていたのです。<br />　私は、黙って母の後ろをついて歩いていました。どれほどの時が流れたのか、足を止めて振り返った母が、「お母さんは今、こんなに良いところで元気に暮らしているのだから...。もう悲しまなくてもよいのだからね。それよりも、今あなたは子供達を立派に育て上げないといけないのだから。そうそう、もうすぐ子供達が学校から帰ってくる時刻になるから、そろそろあなたも家に帰らなくては...」と、私を促しました。「どうしても帰らないといけないの？」と尋ねる私に、母は穏やかな顔で、「そう、帰らないといけない。帰りなさい」と言いながら、私に手を振りました。そして私も母に手を振りました。<br />　不思議なほどに、母との再びの別れに悲しみはなく、「お母さんに会えてよかった」と心から思えたのですが、実のところ、いつまでもここに居たいと思うほどに、そこはとても良い処だったのです。</p>
<p>◆不思議な体験により死の恐怖が無くなり、そして今、神を識り、死ぬために生きる日々を送る</p>
<p>　気が付くと、私は自宅のベッドに横たわっていました。額に手を当てると熱が下がっているのが分かり、体温計で測ると平熱に戻っていました。<br />　あちらの世界で生きている母に再会して大きな安心を得た私は、この世で地に足を付けて生きていかなければならないと思えるようになり、それからというもの、悲しみに明け暮れた一年間を取り戻すかのように、母として妻として家庭を守ることに専念しました。<br />　そして、そのことがあってから二年後に、ＭＲＴ治良を受けるに至ったのですが、実は母が亡くなる以前に知人からＭＲＴのことは聴いており、坐骨神経痛を患っていた母をＭＲＴに連れていこうと考えていたのです。ところが母が住む家からＭＲＴまでが遠過ぎたこともあり、結局、母が治良を受けるまでには至りませんでした。<br />　今こうして私がＭＲＴの治良を受けるようになり、生きることの目的を知り得たことを、あの世に居る母もきっと喜んでいてくれるに違いありません。<br />　肉体が亡くなってもなお、あちらの世界で生き続けている母に会えてから、死に対する恐怖がなくなってしまった私ですが、ＭＲＴに出会い、死ぬために生きる今日この時を大事にし、目の前の現象から種観霊して神を識る日々を送らせて頂いております。<br />　そしていつの日か、再びあの川のほとりを母と一緒に歩けたらいいなと思っております。</p>]]>
        
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    <title>鎮痛剤を一ヵ月に一箱使うほどひどかった偏頭痛と生理痛がＭＲＴ治良で消えて、無事に妊娠・出産。子供は生後七六日目から、トイレで排便、排尿ができるようになる - 体験談のご紹介</title>
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    <published>2012-05-02T09:33:33Z</published>
    <updated>2012-05-02T09:41:51Z</updated>

    <summary>◆高校生からのひどい偏頭痛、生理痛、生理不順が、社会人になって更に悪化。毎月、鎮...</summary>
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        <name>アイディデザイン</name>
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        <category term="ＭＲＴ愛媛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="不妊症" label="不妊症" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="偏頭痛" label="偏頭痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="子育て" label="子育て" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="生理痛" label="生理痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆高校生からのひどい偏頭痛、生理痛、生理不順が、社会人になって更に悪化。毎月、鎮痛剤が手放せなかった二〇代</p>
<p>　私は高校生の頃から、鎮痛剤を飲まなければ過ごせないほどのひどい偏頭痛、生理痛に悩まされ続けてきました。また生理の周期も安定せず、二八日で来るときもあれば、五〇日間生理が来ないときもある･･･というように、生理不順を繰り返しておりました。今思うと、おしゃれが気になる思春期でしたので、平気で身体を冷やしてしまうような服装で過ごしていたことが、体調に影響していたかもしれません。<br />　社会人になってからは、やりがいのある仕事ではありましたが、あまりにも多忙な日々を過ごしていたことで、身体に負担が掛かり、二三歳の頃には、職場の人間関係によるストレスもあり、偏頭痛、生理痛が更に悪化してしまいました。<br />　それからの五年間は、忙しいのが当たり前の毎日で、偏頭痛がする度に市販の鎮痛剤を服用し、生理になるとまた鎮痛剤を服用してと、痛みを抑えながら仕事を続けていましたので、多いときには一ヵ月で鎮痛剤を一箱開けてしまうことも度々でした。</p>
<p>◆八年間、悩まされた偏頭痛が一回のＭＲＴ治良でピタッと止まる</p>
<p>　その後、二六歳で結婚し、体調は変わらないままでしたが、そんな中、二〇〇三年の年末に夫の実家に共に帰省したところ、久しぶりに会った義母が、偏頭痛で疲れきっている私の様子を見て心配をしてくれ、義母が通っているＭＲＴ良法を紹介してくれました。義母の勧めもあり「この偏頭痛が良くなるなら...」と思い、すぐに予約しました。<br />　初めて治良を受けたその日、帰り道でどうしようもない睡魔に襲われ、車の中で一時間寝続けてしまいました。いつもなら偏頭痛がしているときはその痛みで眠れず、鎮痛剤を欠かせないのですが、目覚めた後は偏頭痛が消えていました。<br />　「何だろう？ これが治良の効果？」と信じられない気持ちでしたが、その翌日になっても偏頭痛は起こりませんでした。短期集中治良を勧められたこともあり、翌日もＭＲＴに行き、そのことをＲＴの先生にお話ししたところ、ＲＴの先生から仙骨と蝶形骨の関係について話をして頂き、「とにかく通ったらいいのですよ」と言って頂いたことで、妙な安心感と「続けて通えばきっと良くなる」という自信が湧いていました。</p>
<p>◆一三年来の生理痛が良くなり、ストレスの元を手放し、Ｕターンを決めたことで、妊娠することができました！</p>
<p>　お正月が明けて愛媛の実家から東京に戻っても、ＭＲＴには続けて通いました。薬も飲まずに徐々に体調が良くなってきていたので、このままＭＲＴ治良を続けてみようと思いました。ＭＲＴは全国にオフィスがあり、東京に来てからも同じ治良を受け続けることができたことが大きな安心に繋がりました。<br />　生理痛が軽くなってきたと感じ始めたのは、治良を受けて二年経った二九歳の頃でした。「そろそろ子供がほしいな」と思いましたが、生理周期がまだ不順でしたので、不妊症の検査を受けに病院に行きました。医者からは「生理周期が長く不順のため、排卵のタイミングが難しく、妊娠のチャンスが少ない」と言われてしまい、ショックを受けました。<br />　しかし、ＲＴの先生より「子供は授かるもので、作るものではないのですから、赤ちゃんを一〇ヵ月間育てるために、まずは自分の体調を整えていきましょう」とアドバイスを頂き、自分を大事にすることを一番にして、大きなストレスの元であった仕事を辞めることに決めました。その後、夫が愛媛の本社に戻る話が出たことで、夫と二人でＵターンをすることにしました。<br />　地元に戻り新しい生活が始まりましたが、仕事には就かず、決して無理はしないで自分を大事にする生活を始めました。夫婦の時間を大切にしながらＭＲＴに通う生活を続けていたところ、生理不順も消えて、妊娠を自然に任せていたことで、三三歳で妊娠することができました。<br />　精神的なことがすぐに身体に現れることは、ＲＴの先生からお聞きしていましたが、自分を中真に大事にすることで、精神的、身体的にどんどん元気を取り戻していくことを実感して、自分に合った生活を心掛けていくことが安産への鍵であることを感じました。</p>
<p><br />◆初めての妊娠も、妙な安心感に包まれて...</p>
<p>　三〇歳を過ぎると、高齢出産のリスクがある人もいることを医者から聞きましたが、ＭＲＴ治良を受け続けていることで、妊娠初期のつわりも全くなく、とても元気に過ごすことができました。安定期を迎えてお腹がどんどん大きくなっても、腰痛やお腹が張ることもなく、毎日、充実していました。<br />　妊娠六ヵ月目に病院の定期検診に行くと、医者から貧血があると言われ、鉄剤の薬を処方されました。薬は飲みたくないと思い、ＲＴの先生に相談すると、妊娠中は胎児に充分な栄養を与えるために、母親自身の血液から胎児は栄養をもらうので貧血になりやすいとのことで、食生活のアドバイスをして頂き、鉄分が豊富に含まれているゼロ商品の『ＤＮＡタブレット』『アマランサス』を勧めてくださいました。ＲＴの先生のアドバイスを受け、自分なりに食生活を工夫したことで、次の定期検診では貧血が改善されていました。<br />　臨月になると、胎児の状態について医者から、心音には異常がないものの、非常に胎動の少ない胎児であることを聞きました。医者からは「とてもおとなしい子だと思いますが、胎動が少ないので、もしかしたら胎児に何らかの異常がある可能性がありますよ」と脅されましたが、そのような医者の声を聞いても、妙な安心感があり、初めての出産ではありましたが、「この子は大丈夫」という自信がありました。</p>
<p><br />◆医者が大慌ての異常胎児の可能性による緊急搬送となるも、わずか四五分の超スピード出産へ</p>
<p>　そうして、いよいよ陣痛が始まり病院へ行くと、医者からは「やはり胎動が少ないので、ここ（個人病院）では出産を扱うことはできません。すぐに大きな病院へ搬送の手続きを取ります」と言われ、異常胎児の可能性があるということで、ＮＩＣＵ（新生児集中治療室）のある大きな総合病院へ救急車で運ばれることになりました。<br />　傍で医者の話を聞いていた夫や義母はビックリすると同時に大変心配してくれましたが、私自身は「この医者は何を言っているのだろう...」と不思議に思うくらいとても落ち着いていました。夫や義母は「大丈夫なのか？」と何度も声を掛けてくれましたが、私の中では不安は一切なく、「この子は大丈夫よ」と妙な自信と確信がありました。<br />　総合病院へ到着後、すぐに分娩室に運ばれました。分娩室に入ってからは、初産なのにわずか四五分という早さで、スルリと難なく出産し、私の確信通りに大きな産声を上げる元気な三二六〇グラムの女の子を授かりました。<br />　妊娠中からお腹の子供のことを常に感じていましたので、子供に何かあったら自分にはわかるという感覚がありました。ＭＲＴで教えて頂いた、「一番頼りになるのは自分の"中真感覚"である」ということが、妊娠・出産を通して、よりわかるようになりました。<br />　実家の母には心配を掛けさせたくないため、退院してしばらくしてから、出産時に救急車で運ばれたことを伝えました。予想通り、母は大変驚いたのですが、元気な子供と私を見ると、「こんなに元気なのに、そんなことがあったなんて信じられない・・・」と何度も話していました。</p>
<p>◆初めての子育てでも、とても楽で、周囲のお母さん達から、うらやましがられています</p>
<p>　出産後、一時的に腰の左側に痛みが出ました。妊娠中より「出産後は骨盤がズレやすいから、矯正したほうがよいですよ」と医者から骨盤矯正ベルトを勧められていましたが、ＭＲＴで「よく歩くことが一番良い」といつも聞いていましたので、歩くこと、足踏みすることと、昔からある方法ですが、サラシを腰に巻いて安定させることで、二週間で良くなってしまいました。その後の産後の肥立ちも良く、体重も一ヵ月で元に戻りました。<br />　子供は順調に成長し、二ヵ月も経たないうちに首がしっかりと座りました。夜泣きをすることはほとんどなく、子供が起きる時間も、私達夫婦のペースにぴったりで、子供が合わせて起きてくれていると感じています。声を上げたり、泣いたりするときは、オムツ、おっぱいと必ず理由があり、ぐずって無駄に泣き続けることが全くありません。<br />　ＲＴの先生からは、「子供の機嫌が悪くて泣き続け、夜中でもドライブに連れ出さないと泣きやまないので、夜泣きや疳の虫を治したいと言って治良に通われる方もいる」ということをお聞きしましたが、私の子供はいつもよく笑い、物静かに大人の顔をよく見ているので、逆に私が観察されていると思うこともしばしばです。<br />　先日も、保健センターから、これから出産を控える人のために先輩ママさんとしてアドバイスしてほしいと言われ、子供を連れて講習会に出向きました。講習会が始まると、子供はすぐに寝てくれて、私が話をしている最中も、私の話を聞いているかのようにずっと大人しく待っていてくれました。<br />　そんな子供の様子を見ていたお母さん達から、「泣かないのがすごくうらやましい」「どうやって育てたらそうなるの？」と、とてもうらやましがられました。<br />　これも、妊娠前からＭＲＴ治良を受け続けたことで、精神的にもとても安定している自分のバイブレーションが、子供にも伝わっているからこそだと感じています。</p>
<p>◆子供は生後七六日目で、トイレで排泄ができるようになる！</p>
<p>　妊娠中から興味があって読んでいた本の中に、『おむつなし育児』というのがありました。「生後一ヵ月からでも、親は子供のサインがわかってトイレで排泄させることができる」と書かれており、ＭＲＴ治良を受けて"中真感覚"を知っている私もぜひ実践してみたいと思っていました。<br />　子供を観察していると、授乳して三〇～四〇分後に排泄をしていることがわかりましたので、授乳の後には必ずトイレに連れて行きました。最初はうまくいきませんでしたが、毎回授乳後にトイレに連れて行くことを繰り返していると、生後七六日目に便器の中に排尿しました。<br />　そうして、子供が何を訴えているのか毎日観察していくうちに、排泄を催すと「う～ん」と声を上げる、ソワソワするしぐさを見せるなど、子供が出すうんち、おしっこのサインを読み取ることができるようになりました。<br />　生後九ヵ月の今では、授乳後以外でも、子供のしぐさから、うんちはほぼ一〇〇パーセント、おしっこは子供の機嫌にもよりますが、調子のよいときは、高い確率でトイレで排泄させることができるようになりました。<br />　排泄後に、とても気持ち良さそうに眠りに就く子供の寝顔を見ると、何とも言えない至福のときを子供と共に共有できる喜びを感じています。<br />　これからも、よく歩いて、仙骨のバイブレーションを高めて、夫婦、子供共に無理のない生活を過ごして参りますので、今後とも、よろしくお願い致します。</p>]]>
        
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    <title>最新の体験談を4件追加しました。 - TOPICS</title>
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    <published>2012-04-02T09:15:55Z</published>
    <updated>2012-04-02T09:16:27Z</updated>

    <summary>各地のＭＲＴの4件の験談を追加いたしました。内容は最近の体験談のコーナーでどうぞ...</summary>
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        <category term="ＭＲＴからのお知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/topics/">
        <![CDATA[<p>各地のＭＲＴの4件の験談を追加いたしました。内容は<a href="http://mrt-jp.com/experience/">最近の体験談</a>のコーナーでどうぞ！</p>]]>
        
    </content>
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    <title>毎週二回のＭＲＴ治良を定期的に続けて、中真への軌道修正が速まり、自分を取り巻く人間関係は大きく展開しながら霊止乃道が観えてきた - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-502.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/experience//5.658</id>

    <published>2012-04-02T09:08:25Z</published>
    <updated>2012-04-02T09:13:20Z</updated>

    <summary>◆弟の付添いで来て「傍にいる人が中真を保たないとね」という言霊が魂に響き、ＭＲＴ...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
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        <category term="ＭＲＴ銀座" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="女性らしさ" label="女性らしさ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="看病疲れ" label="看病疲れ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="自分らしさ" label="自分らしさ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="霊止乃道" label="霊止乃道" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆弟の付添いで来て「傍にいる人が中真を保たないとね」という言霊が魂に響き、ＭＲＴに通い始める</p>
<p>　私がＭＲＴに出会ったのは、妹の紹介で鬱病の弟の付き添いとしてＭＲＴ銀座を訪れた六年前でした。「弟さんが良くなっていくためには、傍にいる人が中真を保たないとね」という最初の治良のときのＲＴの先生の言霊がスーッと心に響き、そのまま弟と一緒にＭＲＴに通い始めました。<br />　私は、弟のことだけでなく、当時はまだ教員をしていたため、その仕事のストレスも抱えていて、外見こそ明るく振る舞っていながら、他人の言動にいちいち動揺する生活を送っていました。毎週一回の治良の際にＲＴの先生のお話をお聞きし、自分自身の囚われに気付かせてもらうことにより、本来の自分を取り戻しているように感じておりました。ＭＲＴのオフィスにいるだけでも心が安定していくのがわかりました。<br />　そんな折、二〇〇九年に、近くに住んでいる母が肺不全になり、酸素ボンベの必要な生活になってしまいました。その直後に父が急逝し、更には私の妹に末期の癌が見つかり、その後一年間、仕事と看病でさらに自分の生活を犠牲にして、心身共にボロボロになる生活から抜け出せなくなっていました。長女だった私は、全て自分が先頭に立って身内を守っていかなければといつも思っていたのです。<br />　いよいよ心身共に辛くなり、負担を軽減して看病に専念するために、長年勤めた教職を早期退職することに決めましたが、その退職の二〇一一年三月を待たずに昨年一一月に妹が亡くなりました。それから葬儀の三週間後に、今度は母が大腿部骨折をして入院し、「退職をしても、今度は母の介護をするだけの生活になってしまうのか...と、暗い気持ちになってしまいました。<br />　ＲＴの先生とのお話の中で、「頑張り過ぎたのですね」と言われて初めて、自分でも気付かないうちに無理を重ねてきていたこと、そして、とても辛かったことを人に話すことすらできなかった私の苦しみの全てをわかって頂いているように感じ、涙が溢れてきたことがありました。<br />　『霊止乃道』の御著書を拝読して「中真でいられれば大安心、絶対なる神が自分の中にいて答えは自分の中にある」ということもわかっているつもりになっていましたが、実生活においては本来の自分の中真から外れたままの状態が続いていました。何かあるとすぐ不安になってしまい、自分の心情を誰かに相談したくなるような不安定な私でおりましたので、わかってもらえて涙を流していたのは、中真の私だったのだと感じています。</p>
<p>◆二人の娘達の変わっていく姿を見て、ＭＲＴの素晴らしさを実感し、本当の自分に戻りたいという気持ちが強くなる</p>
<p>　二人の娘も私の勧めで三年前よりＭＲＴに通い始めましたが、親子関係が好転していくだけでなく、娘達がどんどん自分らしく生き生きとして変わっていく姿を見て、ＭＲＴが本物であり、私自身も本当の自分に戻りたいという気持ちがますます強くなっていきました。<br />　私も退職を機にもっと変わりたい、もっと自分のためにお金を使って自分を大切にしてあげたい、今の殻を破って自由自在になりたいと強く思い、週二回ＭＲＴ治良に通うことに決めました。何よりも大事にしてこれなかった自分自身を一番にしてあげて、二〇一二年に向けて一番重要である仙骨のバイブレーションを高めることに集中していきたいと思ったのです。</p>
<p>◆毎週二回のＭＲＴ治良を受け始めて、自分自身でも想像すらできなかった展開が起きる</p>
<p>　四月から週二回の治良を始めてから、自分でも今までにない変化を感じるようになってきました。ＲＴの先生のお話が、素直に中真の自分へ届いているように感じておりましたところ、ずっと胸の奥に引っ掛かっていた結婚生活のことも、「このままではいけない」と、改めて向き合う気持ちになっていました。<br />　結婚して三〇年、夫とは長い間、形だけの夫婦生活でしたが、「自分から離婚のことを言い出せない」「夫とは一生別れられない」と諦めていました。夫婦は努力して添い遂げるべきという世間の常識の枠に自分を縛り付けようとしていましたし、何より、夫の怒鳴る姿を想像しただけで怖くなり、そのことを口にするのを避けてしまっていたのです。しかし、ＲＴの先生やＭＲＴで知り合った友人とお話しさせて頂くうちに、「自分らしく生きたい」「人として輝いていいんだ」という本心のほうが段々と大きくなっていきました。自宅で偶然に観たテレビ番組の画面に映し出された「輝け○○ちゃん！」という横断幕の映像を見て、涙が突如溢れて止まらなくなり、別居を躊躇している自分に「このまま進んで輝いていいよ」と後ろの方が励ましてくださっているように感じて不安な気持ちが小さくなっておりました。<br />　また、私自身「こうあるべき」という自分の思い込みや多くの既成概念に囚われていることが観えてきて、夫は私の合わせ鏡であり、自分自身そのものを映し出してくれているということを感じ始めると、今まで夫に本音を語らないままでいたこと、自分自身を偽ってきたこと全てに申し訳ない気持ちが出てきました。そして、そのままの自分を話すという今までの私には到底できなかった話し合いができました。週二回のペースで仙骨治良を受け、ＲＴの先生から常に「自分らしく」「真心で話す」とお話し頂くことで、中真から大きく外れることなく常に仙骨を意識して淡々と自分に向き合うことができるようになってきておりました。そのような私の変化が夫にも伝わったようで、強い反対に合うこともなく、別居の話し合いに同意してもらうことができ、これは私にとって奇跡のような展開の始まりでした。生まれて初めての一人暮らしは、全てが自分のためだけの空間で、私一人だけの部屋やその中にある全ての物、そこから見える外の景色が輝いて見えました。ＭＲＴに巡り会えていなかったら到底、今の自分には巡り会うどころか、自分が変われることを想像することすらできませんでした。</p>
<p>◆仙骨のバイブレーションを高めていくことを一番に、二〇一二年のその日を迎えていく</p>
<p>　今まで他人に中真を置いてしまい自分自身を偽ってきて、本当に申し訳わけなことをしてきた分、これからは自分をもっと大事にして、女性として輝かせてあげることを惜しまずにしていこうと決意しました。ほとんどしなかったお化粧をするようになり、ひらひらの女性らしい服を着てみたり、少しずつ女性としての自分を楽しむようになってきておりましたところ、変化していく私の姿を見ていた娘達から「お母さん、生き生きして楽しそうだね。別居できてよかったね」と言ってもらえたのです。<br />　また、週二回の定期的な治良により、一番大事な仙骨に意識が向かうようにもなったことで、この半年間に大きな変化が起こっていると感じます。たった半年という短い間でしたが、集中して治良したことにより、私が中真へ向かうために必要なお話をしてくれる方、本音を語り、この道を歩む力を貸してくれた方に次々と巡り会わせて頂きました。<br />　特にＭＲＴで知り合ったＳさんとは、今までの自分の境遇や体験、そして思い込む癖まであまりにもよく似ているように感じ、他人は自分自身を知るために存在していることに繋がりまして、今まで観えていなかったたくさんの気付きがあります。二〇〇八年からの知り合いですが、深い本当のお付き合いができるようになってきたように感じています。同じようにして、霊止乃道に続く仲間との交流も広がり、真剣に学ばせてもらえる機会がぐっと増えてきました。自分でもつい半年前の私とは思えないような自分らしい生活を取り戻し始めています。これから二〇一二年のその日を迎えるまで、たくさんの業や多くの不安が出てくると感じておりますが、毎週二回のＭＲＴ治良を定期的に継続することで自分自身のバイブレーションを高めていくことを一番に淡々と自分を大切にしていきます。まだまだ頭の理解になってしまうことが多いのですが、中真の本当の自分でいられますよう自分自身ときちんと向き合い、全てを自分に返し、ＲＴの先生の御指導を頂きながら、たくさんの気付きを束ねて深い理解に繋げていきたいと思っています。</p>]]>
        
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    <title>毎週二回のＭＲＴ治良を定期的に続け、「中真、中真」と仙骨を意識していくことで、これまでの不自由な想い世界から抜け出してきた - 体験談のご紹介</title>
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    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/experience//5.657</id>

    <published>2012-04-02T09:00:34Z</published>
    <updated>2012-04-02T09:07:36Z</updated>

    <summary>◆もう年だから仕方ないと諦めていた長年の腰痛を我慢した生活を続けているときにＭＲ...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
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        <category term="ＭＲＴ銀座" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="ザワザワ感" label="ザワザワ感" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="人間関係" label="人間関係" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="尾骨の痛み" label="尾骨の痛み" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="腰痛" label="腰痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆もう年だから仕方ないと諦めていた長年の腰痛を我慢した生活を続けているときにＭＲＴに出会う</p>
<p>　いつの日からか腰が痛くなり、電車や椅子に座るのがとても苦痛で、不自由な毎日を過ごしておりました。しばらく我慢しておりましたが、尾骨辺りまで痛くなり、車の運転さえままならないほど腰痛がひどくなり、どうしたら良いのかいつも悩んでいました。一発で良くなるという評判の整体師をインターネットで見つけて、腰痛を治したい一心で遠方まで出向いて治療を受けてみましたが、一向に良くなる気配はなく、「もう年だから仕方がない」と自分に言い聞かせて、腰痛を我慢しながら生活をしておりました。とても辛そうにしている私の姿を見ていた娘から、『医者がお手あげの病気は「仙骨」で消せ！』という御著書を差し出され、「一度ここに行ってみるといいわよ」と言われました。<br />　「そんな簡単に、ましてや身体に触らないで一秒で病気が治るなんてあり得ない」と娘に言うと、娘は、「そう思うのだったら、やめときなさい」と言われて私の部屋から出ていってしまいました。<br />　そのとき、「せっかく娘が心配してくれて教えてくれたのだから、一度だけでもＭＲＴに行ってみて、どんな所なのか、どのような治良をするのか、確かめてみる価値はあるかな」という気持ちになり、ＭＲＴに出向いたのが、最初の切っ掛けでした。ＭＲＴに行って先生から「どうしたのですか？」と聞かれ、「尾骨が痛くて椅子に座れないのです」と答えましたら、即座に「精神的な悩みを抱えていますね」と言われて「どうして一言もしゃべらないのに、先生にわかってしまうのだろう？」とびっくりしてしまいました。そして、「三ヵ月後、どうなっているか、楽しみにしていてくださいね」と言われた瞬間、「ここで良くなる」と直感して、あまりにもうれしくて痛さも忘れてしまうほどでした。そして希望の光を感じ、ルンルン気分で家に帰って参りました。<br />　それから、ＭＲＴ治良を定期的に半年ほど続けた頃、自然に腰の痛みが治まっていることに気が付きました。ところが 、"喉もと過ぎれば・・・"で、腰痛が治ってしまうと、初めてのＭＲＴとの出会いの感動を次第に忘れてしまってきていました。</p>
<p>◆日常の生活に振り回され、ＭＲＴ治良の間隔が空き、精神的に落ち込むことが多くなる</p>
<p>　それでもＭＲＴ治良は続けていたものの、段々と雑事を理由に、自分の都合に合わせて不定期にＭＲＴ治良に通うようになっていました。<br />　ＲＴの先生がお話しくださったことも、一所懸命に頭で考えて理解したつもりになっていました。そんなときに、遺産相続の問題が発生して姉妹との人間関係に巻き込まれ、精神的に落ち込んでしまいました。とにかく「どうにか早く相続問題の解決をして、一日も早くスッキリしたい」とだけ願い、「どう行動したらよいのか」という想いだけで心の中がいっぱいになってしまっていました。いつも気持ちが落ち着かず、想いの世界に入り込み、不安感に苛まれ、気持ちがザワザワとしていることを感じていました。<br />　また、意識がいつも外にばかりに向いていることがわかり、たわいもないことにまでいちいち反応してしまい、気持ちがザワザワしてしまう自分をどうすることもできずにいました。「どうしたらいいんだろう･･･」と想いながらも、自分ではどうにもできず、そんな不安だらけの自分の気持ちを紛らわしながら、毎日生活しておりました。</p>
<p>◆毎週二回のＭＲＴ治良を続け、変化していく友人の姿に驚かされる</p>
<p>　そんな不安だらけのときに、週二回の治良を続け、劇的に変わられたＫ・Ｎさんに出会いました。以前の彼女とはまるで別人のようで、生き生きとして明るく前向きで、人に対しても本当に優しくて、その上とても女性らしくきれいになっているのに驚かされました。<br />　彼女にお会いして即座に、どうしてそんなに素敵に変わられたのかと本人に聞きましたら、毎週二回ＭＲＴ治良に通って大きく変わったことを話してくれました。<br />　私も「彼女みたいに輝く自分に変わりたい」と強く感じて、早速次の日にＭＲＴに治良に行きました。「今月から週二回治良を受けて、この心のザワザワ感をなくして、Ｋさんのようになりたいのです」と、ＲＴの先生にお話ししましたら「両足が、霊止の道に入っておらず、その片足が人間の道を歩いているから、ザワザワ感があるのですよ、しっかりと両足で霊止乃道を歩んで行かれると、そのザワザワ感が取れて、安心することができますよ」と霊止乃道の話をして頂きました。<br />　そして、「Ｋさんを介していろいろな方とお話をして、間練んでいかれるといいですよ」と言って頂きました。</p>
<p>◆「中真、中真」と仙骨を意識していくことで、想いの中に埋没することがなくなった</p>
<p>　それから、Ｋさんとよく話すようになり、ＭＲＴに通われている素敵な方達を紹介して頂いて、その方の家まで食事に招待して頂き、親しくするお友達が一気に増えていきました。<br />　そして毎週二回の治良を受けることで、仙骨をいつも意識し、「中真、中真」と口ずさんでいる自分がおりました。<br />　それまでの自分では、感じることもなかった宇司露の方の存在を意識するようになり、たくさん自分から話しかけるようになっていました。相手の顔色を気にすることなく、正直に自分の想いを語れるＫさんに出会い、そして性格や物事を捉える癖までも自分と似ている彼女だからこそ、本当にたくさん気付かせてもらうことができると感じております。<br />　まだまだ、ザワザワ感が顔をもたげてくるときがありますが、そのときは以前の自分とは違い、「自分の中真がブレているから」と、自分で自分自身に語り掛け、その想いに翻弄されることがなくなって、自分で自分をしっかり落ち着かせていることを自覚してきています。<br />　定期的にＭＲＴ治良を週に二回受けることで、ただ身体の調子を調えるというだけではなく、仙骨のバイブレーション高めていくことで、自分自身の周りの環境や人間関係まで調っていくことを実感し、その現象を通して多くの気付きに繋がっていくことを感じさせて頂きました。<br />　これからは二〇一二年に向けて、多くの自然現象や生活環境の変化が起き、自分だけでなく、世の中のザワザワ感が大きくなってくると感じていますが、淡々と定期的にＭＲＴに通い、中真のあるＭＲＴの友人と接して仙骨を意識して参ります。</p>]]>
        
    </content>
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    <title>車が大破する事故に遭ったが、かすり傷ひとつなく無事であるという奇跡的な体験をし、守られていることを実感 - 体験談のご紹介</title>
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    <published>2012-04-02T08:54:54Z</published>
    <updated>2012-04-02T08:59:38Z</updated>

    <summary>◆大事故に遭って車が大破！　割れるはずのガラスが割れず「守られている」と実感 　...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
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        <category term="ＭＲＴららぽーと千葉" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="事故" label="事故" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="後遺症" label="後遺症" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="死" label="死" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="短期集中治良" label="短期集中治良" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="骨折" label="骨折" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆大事故に遭って車が大破！　割れるはずのガラスが割れず「守られている」と実感</p>
<p>　二〇一一年一〇月半ばのある日のことです。<br />　その日は、広島の実家から上京していた八〇歳の母を車で駅まで送ることになり、私の次女と、次女の交際相手（Ａ君）と、母と、私の四人で車に乗る予定にしていました。ところが、直前になって次女に急用ができ、急遽三人で出発することになりました。<br />　Ａ君が運転席に座り、母は後部座席の左側に、私は母の右隣に座りました。シートベルトを締めて出発したのですが、走り出してすぐに、左隣の母がシートベルトを締めていないことに気が付きました。<br />　そこで、母のシートベルトを締めるために、私はいったん自分のシートベルトを外し、ドアの近くに付いているベルトを引っ張ろうと母に覆いかぶさる形になったその瞬間、右後ろに黒い影が見えたと同時に天地がひっくり返り、気が付いたら身体が横になって倒れていました。目の前と頭上を、キラキラとした光が舞い、一瞬「あれ？　もしかして、死んだのか...？」と思いましたが、すぐに、車が左側を下にして横転したのだとわかりました。キラキラした光は、粉々になったガラスの粉でした。間もなく外から、救助に来てくださった人の「生きていますか！？」という声が聞こえ、「はい」と返事をし、ドアが開かなかったためにトランクから引きずり出される形で外に出ました。周囲は既にたくさんの見物人による人だかりができていました。私達は奇跡的に三人とも誰もケガをしておらず、歩いて移動している姿を見て、「生きてる！」「歩いてる！」と驚いている声が周囲から聞こえました。<br />　そのときは精神的にショックで茫然としていて、救助に来てくださった方に促されるまま安全な場所へと移動したので、事故がどれほどの大きさであったか気付いていませんでした。<br />　ところが、後日、周囲の人から聞いた話や、事故現場の写真を見せてもらったことで、死者が出なかったことが不思議なぐらいの大事故だったことを知ったのです。<br />　事故現場は十字路でした。右から出てきた相手の車は大きなバンで、急いでいたらしく、一時停止せずに十字路を渡ろうとし、私達の乗った車に追突したのでした。<br />　私達の車は、見るも無残に潰されて大破していました。右後部座席に追突された衝撃によって進行方向と真逆に反転し、更に左側を下にして横転しており、次女が載る予定だった左側の助手席は横転した衝撃でガラスが割れて一番ひどい状態で潰れていました。私の座っていた右後部座席のドアは、追突されて大きくへこみ、更に、オイルが大量に漏れていましたが、引火せずに済んでいました。運転席のＡ君が、横転した直後にタイヤが回っている音に気付いてすぐにエンジンを切ったのだそうです。もしもエンジンを切っていなかったら爆発炎上していてもおかしくありませんでした。<br />　そして、何と驚いたことに、車体は左側を下にして横転していたにもかかわらず、母が座っていた左後部座席のガラスだけが、全く割れずにきれいに残っていたのです（他のガラスは全部粉々になっていました）。そのため、母は、ガラスに顔を押しつけられた状態になっていたのですが、顔の下のガラスは何事もなかったので、かすり傷すら負わなかったのです。そのことに気付いたとき、鳥肌が立ち、『霊止乃道』の御著書に書かれていた「守護霊・守護神」のことがすぐに繋がり、「守られている！」と実感したのです。</p>
<p>◆骨折に気付かず普通に生活、気付いてからはＭＲＴで劇的に完治</p>
<p>　事故の当日は、あれほどの大事故でありながら、どこにも外傷がないまま救急車に乗せられて病院へ運ばれ、「何ともありません」と診断を受けその日のうちに家に帰りました。しかし、母は精神的に落ち着くまでもうしばらく東京に滞在することにしました。<br />　そして、一週間ぐらい経った頃、母も私もどうも背中が痛むので、一緒に病院に行くと、何と二人とも肋骨が折れていることが判明したのです。しかも、母のほうは、肋骨の前側と後ろ側の両方が折れているとのことでした。一週間も骨折に気付かず普通に生活していたことに驚きましたが、「そうだ、早くＭＲＴに行かなければ！」と思い、その足ですぐにＭＲＴに行きました。<br />　ＲＴの先生にお会いして、事故に遭った経緯をお話しさせて頂いたとき、私の口から開口一番出てきた言葉は「守られていると実感しました」という言葉でした。<br />　そして、ＭＲＴ治良を受けた瞬間、痛みと全身のこわばりがスーッと消えて、その日は母と共に久しぶりにぐっすり眠りました。母は、事故の後、緊張が抜けず、三分おきと言っても大げさではないぐらい頻繁にトイレに行くようになって眠れなかったのですが、ＭＲＴに行ったその直後から「眠い、眠い」と言い始め、夜眠れるようになりました。<br />　その後、短期集中治良として治良を受けてから二四時間以上開けて治良を受け続け、その度に目に見えて劇的に身体も心も軽くなり、ＭＲＴ治良の凄さと、仙骨の大事さを改めて実感しました。<br />　そして、それから二週間足らずのうちに母はすっかり元気を取り戻し、病院にレントゲンを撮りに行くと、高齢のためか完治はしていませんでしたが、医者から「痛くないならもう長距離の移動をしても大丈夫ですよ」と言われ、無事に広島に帰ることができました。<br />　そして、私のほうはもう完全に骨がくっついており、普通、肋骨骨折したら三ヵ月以上は後遺症で尾を引く人が多く、骨もずれてくっつくことがあると聞いていたのですが、わずか一ヵ月で完治してしまい、それも「きれいにくっついていますよ」と医者から言われ、ＭＲＴ治良を受けていたからであると確信しました。</p>
<p>◆奇跡的な現象が繋がり、起きるべくして起きたことを実感</p>
<p>　事故の後に、一連の経緯を思い返してみて、たくさんの気付きがあり、起きるべくして起きたことであると観じました。<br />　その中で、やはり一番大きかったのは、守られているという実感でした。もしも次女が急用で来られなくなっていなければ、あの一番被害が大きかった助手席に乗っていたはずでしたし、横転したときＡ君がタイヤの音を聞いてすぐエンジンを切っていなければ、オイル漏れに気付かず炎上していたかもしれません。また、もしもあのとき、母のシートベルトを締めるために私が自分のベルトを外して身体を左に寄せていなかったら、相手の車は右から突っ込んできたので大ケガをしていたことでしょう。そして、何と言っても母の下敷きになったはずのガラス一枚だけが全く割れなかったこと...。全て偶然などとは思えません。<br />　そしてもう一つ、後で気付いたことは、その日、車に乗っていた三人と、乗らなかった次女も含め、全員、その日にＭＲＴマークを所持していたのでした。特に、いつも物を失くしがちな母が、この日に限って、一年ぐらい前に二回だけ受けたＭＲＴの期限切れの登録カードをお財布に入れて持っていたのです。そこには、しっかりとＭＲＴマークが印刷されていました。母は元々あまりＭＲＴのことに興味がなかったのですが、事故以来、仙骨の重要さがよくわかったと言っています。</p>
<p>◆「死」について理解が変わった</p>
<p>　事故を通してもう一つ大きく変化したことがあります。それは、「死」についての理解です。<br />　あれほどの大事故であったにもかかわらず、追突された瞬間の記憶をたどると、母も私も、強い衝撃や音などを感じていませんでした。衝撃というよりも「ボワーン」という感覚で、気付いたら横を向いて倒れていたのです。母も同じように感じたと言っていました。そして、頭上でキラキラと舞っているガラスの粉を見ながら、「あれ？　死んだのかな？」と一瞬思ったのですが、救助の人の「生きていますか！？」の声掛けによって、生きていることを確認したという感覚です。その瞬間は茫然としつつも、過去に月刊ＭＲＴで読んだ師尚の御教示が重なっていました。それは、「死とは、扉を開けて向こうに行ったようなものである」「死んでも何も変わらないから、自分が死んだということになかなか気付かないものなのである」という御教示です。衝撃も感じずに気付いたら横向きに倒れていたこと、どこにもケガがないことから、「ああ、月刊ＭＲＴで読んだのはこういうことなんだ、こうやって自分が死んでも気付かずに日常を送り、さまよっている人がたくさんいるということなのだ」と観じたのです。このことから、今、生かされている時間に多くの理解をしなければならないと実感しました。<br />　これからも、「無事でよかった」で済ませず、引き続き種観霊を繰り返し、理解を深めて参ります。</p>]]>
        
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    <title>頸椎ヘルニアの激痛とパニック障害から解放されると共に理解を重ね、現在は霊止乃道を歩んでいます - 体験談のご紹介</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://mrt-jp.com/experience/post-499.html" />
    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/experience//5.655</id>

    <published>2012-04-02T08:48:30Z</published>
    <updated>2012-04-02T08:53:51Z</updated>

    <summary>◆肩の痛みが激しくなったことで、無理を続けている自分にようやくスイッチが入った ...</summary>
    <author>
        <name>アイディデザイン</name>
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        <category term="ＭＲＴ姫路駅前" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="パニック" label="パニック" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="激痛" label="激痛" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="霊止乃道" label="霊止乃道" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="頸椎ヘルニア" label="頸椎ヘルニア" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆肩の痛みが激しくなったことで、無理を続けている自分にようやくスイッチが入った</p>
<p>　私は、大型のエアコンの取り付けや点検・メンテナンスなど、空調設備関係の仕事をしています。<br />　今から七年ほど前のことですが、その頃は、社員が今よりも少ないにもかかわらず、仕事はとても忙しく、ほとんど休日返上で働き詰めに働く日々が続いていました。その上、私の肩には仕事の責任が重くのしかかってくるようになり、そのストレスからか段々と左肩が痛くなってきて、身体も疲れやすくなり、昼の休憩時間には横になり、家に帰ってもバタンと倒れるように横になるような毎日でした。そのうちに上を向くと左肩に激痛が走るようになり、仕事柄、天井を見上げることが多いので仕事もままならなくなり、「このままでは仕事を辞めることになるのではないか？」と考えていました。<br />　当時は、パチスロ（パチンコ店のスロットマシン）が好きで、よく行っていましたが、とうとう肩の痛みでパチスロすらも打つことができなくなってしまい「このままでは、もう駄目だ！　何とかしなければいけない」と、激痛に耐えて無理を続けている自分にようやくスイッチが入り始めました。</p>
<p>◆いろいろな治療を渡り歩き、最後にＭＲＴに巡り合った</p>
<p>　それからというものは、家族、会社の同僚、知人からの情報を元にいろいろな治療に通う日々が始まり、まず初めに鍼治療に通いました。<br />　その治療のせいかはわかりませんが、その後に激しく下痢をしてしまい、夜も眠れない状態となってしまったので、そこは二回で通うのをやめました。<br />　鍼治療で懲りたので、整形外科を受診し、ＭＲＩの検査を受けたところ、頸椎の四番から七番の椎間板が飛び出していて、頸椎ヘルニアと診断されました。医師からは「この先、頸椎ヘルニアが治ることはなく、極度の痺れや失禁症状が出てくれば最終手段として手術をするしかない」と宣告されましたが、不思議にも私は「何とかなるだろう」と感じていました。<br />　整形外科では、痛み止めの薬とシップを処方されましたが、痛み止めの薬では治ることはなく、痛みが取れることで無理をしてしまうので逆効果だとわかっていましたので、薬は飲まずにシップと首の牽引だけを一ヵ月ほど続けていました。しかし、症状は全く変わることはなく、「どう考えてもこんなやり方では良くなるわけがない」と気付き始めました。<br />　そうして西洋医学の現状と限界を思い知らされ、病院通いをやめて、次は接骨院に一ヵ月ほど通いました。そこでは肩の辺りに電気を通してマッサージをしてもらい、そのときだけは気持ちが良いものの、やはり症状の改善は全くありませんでした。<br />　そこで、「もっと物理的に骨格を矯正すれば治るのではないか」と思い、整形外科の医者からは「絶対に行くな」と言われていたカイロプラクティックに通いました。首にある程度の衝撃を与える方法で二ヵ月ほど通って少し良くなった時期がありましたが、すぐにまた痛くなってしまいました。<br />　そうこうするうちに半年が経ち、「何か東洋的で優しい治療法があるはずだ」とインターネットで検索して、なんとか見つけた治療所は大阪にあり、簡単には通えない距離でした。<br />　そこで、「姫路にも探せば必ずどこか良いところがあるはずだ」と棚からタウンページを引っ張り出してきて、姫路市内の三〇件ほど掲載されていたカイロプラクティック関連の電話番号に上から順番に電話で問い合わせて、治療方法や料金や所要時間、その先生と話が合うかどうかなどを確認しながら進めていきました。大概のところが、「うちにピッタリですよ！」「とにかく来てください！」と言い、中には、「いったい何が知りたいのですか！」と怒り出すところもありました。そして、最後のほうには電話をするのにも疲れてきていましたが、一番最後に掛けたのがＭＲＴ姫路駅前でした。<br />　電話口で私の症状などを説明すると、ＲＴの先生からは｢頸椎ヘルニアで手術寸前でも治った方がいらっしゃいますよ｣と、スッとした迷いのない言葉を掛けて頂きました。そのときに電話口から伝わってきたよどみないバイブレーションを今でも覚えています。そして数時間経って気持ちが落ち着いたときに、「ここしかない」と感じて、迷うことなくＭＲＴ姫路駅前に予約の電話を掛けました。</p>
<p>◆ＭＲＴを受けて、身体が少しずつ変化していった</p>
<p>　初回治良時は、ある程度ホームページで内容を確かめていたこともあって、自然な気持ちで受けることができました。<br />　最初に実感した身体の変化は、疲れが少なくなっていることでした。<br />　三回目の治良を受けた頃に、妻から「なんか顔が若返った？」と言われたことが印象に残っています。<br />　逆行については、元々肩凝りから来る頭痛持ち（以前はそう思っていました）だったので、それが出たり引いたりを繰り返したり、突然腰痛になっても翌日には治っていたり、指の痛みや目の痒みが出た時期がありました。<br />　その頃はまだ肩の痛みがありましたが、長いサイクルで症状が出たり引っ込んだりして、段々と痛みは治まってきました。<br />　身体の変化で顕著だったことは、疲れなくなったことと、肩凝りが全くなくなったことでした。</p>
<p>◆精神面も変化し、パニック障害から解放された</p>
<p>　ＭＲＴを受けるようになってから、精神的にも変化がありました。<br />　私は、社会人になった頃、パニック障害になった時期があり、そんなときはいつも原因不明の不安感が高まって「気が狂ってしまうのではないか？」という恐怖と闘っていました。ＭＲＴに出会うまで、パニック障害の症状を本当に理解してくれる人はいませんでしたが、ＲＴの先生はパニック障害のことも深く理解されていることに安心感を抱くと共に、自分の話をわかって頂けているということで救われた気持ちになりました。更に、ＲＴの先生からは｢パニック障害の症状が出ているときは気持ちが上のほうに上がってしまっているので、そんなときは仙骨に意識を向けることが良いのですが、足下へ意識を向けると、もっと良いのですよ｣とアドバイスを頂きました。<br />　その後、苦手な飛行機に乗る機会がありました。私は、今まで飛行機に乗ることはあまりなかったのですが、乗ったときにはいつもずっと恐怖と闘っていて最後にはヘトヘトになっていたのです。ところがその日は、ＲＴの先生からアドバイスを頂いた言葉を思い出し、足下へ意識を向けるようにしてみると段々と気持ちが落ち着き、そのとき初めて平常心で飛行機に乗れていることにとても感激しました。<br />　また、ＭＲＴに出会うまでは何かあれば病院へ行く、近くに病院があれば安心するという自分の外に中真を置いた生活を送っていましたが、現在では自分の中にある仙骨を中真に置くことで、どこへ行っても精神的にもかなり安定してきたことを実感しています。</p>
<p>◆お試しを乗り越えて、霊止乃道へ</p>
<p>　私はこれまで師尚の御講話を拝聴させて頂いたり、『霊止乃道』の御本や『月刊ＭＲＴ』を読ませて頂いたり、ＭＲＴでＲＴの先生からお話を聞かせて頂くことで、段々と霊止乃道を歩ませて頂くようになって参りましたが、本当に霊止乃道を歩もうとする前には、大きなお試しがありました。<br />　それは、お寺の住職である同級生や知人の誘いで参加した、京都にある非常に有名で大きなお寺での二泊三日の奉仕団としての体験でした。ちょうど、私がＭＲＴで目に見えない世界のことを識り始めた頃で、「宗教とはどんなものか？」を知る良い機会であると思い参加したのですが、そこではまず、お寺の大きさや形にひかれるものを感じました。次に一斉にお経を上げる大きな声に圧倒され、そしてお経に合わせて揺れる大きな蝋燭の炎を見ていると心を揺さぶられました。<br />　しかし、「偉い」と言われるお坊さんの話を聞いて、良い話だとは思いましたが、人の生死についての説法が欠けていると感じました。参加者全員が集合して、お坊さんに質問をさせてもらう場におきましても、参加者の一人が「『人は死んだらどうなるのか？』という話がなかったのですが･･･」という質問をしましたが、その宗派での位が高いお坊さんからは、人間にとっての根本的な問題である『生や死』についての具体的な話は何もなく、お茶を濁したような答えしか、聞かせてもらえませんでした。<br />　私は、ここには中真はなく、やはり自分が進む道ではないと感じ、住職から法名を頂いたことには感謝しつつも、自分の道ではないことを伝えてその法名や資料を一つ残らず全てお返ししました。もし、そのときに私がこれまでＭＲＴを通して理解したことがなければ、恐らくお寺での雰囲気にのまれてしまい、その宗派に入信することになっていたと思いますし、ここでの経験は今では霊止乃道を逝くことを決心するためのお試しの場であったと理解しています。<br />　ＭＲＴに出会うまで大きく回り道をしてきましたが、その回り道に関わる全ての人に、この道へ導いてくれたことに感謝しています。生・死や陰・陽などの両極から中真を識り、自分も周りも全てを自由自在にさせる霊止乃道を唯一絶対の道として、これからも淡々と歩んで参ります。</p>]]>
        
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    <title>最新の体験談を3件追加しました。 - TOPICS</title>
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    <published>2012-03-07T05:06:59Z</published>
    <updated>2012-03-07T05:07:47Z</updated>

    <summary>各地のＭＲＴの3件の験談を追加いたしました。内容は最近の体験談のコーナーでどうぞ...</summary>
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        <![CDATA[<p>各地のＭＲＴの3件の験談を追加いたしました。内容は<a href="http://mrt-jp.com/experience/">最近の体験談</a>のコーナーでどうぞ！</p>]]>
        
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    <title>一二年前に、卵巣癌の末期、余命三ヵ月と医者に宣告を受けるも、ＭＲＴ治良に懸け一命をとりとめ、癌から多くを学び、霊止乃道を歩む - 体験談のご紹介</title>
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    <published>2012-03-07T04:38:17Z</published>
    <updated>2012-03-07T04:55:29Z</updated>

    <summary>◆幼少の頃に閉じてしまった本心と女性性 　私は幼少の頃から口が重く、親戚から「こ...</summary>
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        <category term="ＭＲＴ銀座" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
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    <category term="卵巣癌" label="卵巣癌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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    <category term="癌" label="癌" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
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        <![CDATA[<p>◆幼少の頃に閉じてしまった本心と女性性</p>
<p>　私は幼少の頃から口が重く、親戚から「この子は口が利けないのではないか」と言われていたほどで、納得のいかないことがあると押し黙り、親の言うことにさえも絶対に従わない頑固な子供でした。幼稚園や小学校でも、学校の先生に本当のことを言って叱られることがあったり、また親からも「口答えしてはいけない」といつも叱られていました。そのせいなのか、「どうせ話したってわかってもらえない」という想いが、物心ついた頃から常に私の中にありました。それと関係があるかはわかりませんが、中学生になった頃から腰が重くなり、長年腰痛で悩むようになりました。<br />　その後、高校はミッションスクールに進学し、何故か興味を持った「宗教研究会」に入りました。宗教研究の一環として修道院のシスター研修をしたのですが、そのときに、何とも言えない抑圧された世界を感じ「シスターなんか絶対にイヤだ！」という強烈な想いが出てきたことを憶えています。<br />　幼少の頃から「性」に関して嫌悪感を抱くことがあり、また、映画や雑誌などで登場人物がレイプされるシーンを目にすると異常に胸が苦しくなることがあり、それらの自分自身のことと、修道院をイヤだと強く感じたことが関連しているように感じます。きっと自分の過去世で何かあったのかもしれないと今は思います。<br />　そのような抑圧された環境に身を置きながら、本心では自分自身の女性性を解放したいという、相反する想いがずっと自分の中にありました。</p>
<p>◆自分自身をないがしろにし続け、行き詰まっていたとき、ＭＲＴに出会う</p>
<p>　高校を卒業してからは、これといった目標がなく、様々な職業を渡り歩きました。どこもそれなりに楽しく、いろいろな経験を積みました。しかし、自分を追い込まなければならない業種の会社に就職したとき、頑張り過ぎて精神的に疲れ切ってしまい、それがイヤになって会社を辞めたのですが、次に転職した職場では、今度は人間関係でかなりのストレスがありました。そのストレスから逃れるために、仕事帰りには「寄り道せずに帰宅するのはもったいない！」とばかりに遊び歩くようになりました。そうまでしても、「石の上にも三年だ。絶対に辞めてなるものか」と意地になって仕事を続けていましたが、日々、自分が壊れていくという感覚がありました。そして、三年経って区切りがついたところでその仕事も辞めました。<br />　ところが、仕事を辞めてもまだスッキリせず、半ば自暴自棄になり、私生活は更に派手になっていき、当時、遊びの先端を行く人が集まる西麻布のクラブで、様々な人種を見てきました。そこでは、魅力的な男性もいましたが、後に人間の本能がむき出しになった姿を見て、私が望む世界はここにはないことがわかりました。<br />　当時、お付き合いしていた人もいましたが、今振り返りますと、人間的にはとても好きでしたが、真に中真の自分が望んでいた相手ではなく、自分の細胞が受け入れていないことを感じていながらも、その感覚に蓋をして曖昧なお付き合いをしていました。しかし、そうして自分自身をないがしろにした生活を続けていくうちに、「このままでは自分が崩壊してしまう。こんなイヤな自分を何とかしたい」という想いが日に日に強まっていきました。友人に勧められるまま心療内科に通った時期もありましたが、「こんな所に通ってもきっと何も変わらない」と感じ、その頃から、感情が薄れ、涙も出なくなっていきました。<br />　そして、様々な精神世界のセミナーなどを回るようになり、その中で、女性としてとても輝かれ、憧れる方に出会い、その方のセミナーでＭＲＴの存在を知りました。<br />　その当時は重い腰痛以外に身体の不調は特に感じていなかったのですが、「ＭＲＴ治良を受けると性格も明るく前向きになる」と聞き、興味本位で一九九四年より治良を受け始めました。身体に大きな不調を感じなかったので、数年間は、治良に行ったり行かなかったりして真面目に通っていませんでした。<br />　しかし、新しく就職した会社や周囲の人間関係でも相変わらずストレスを感じる日々が続いており、次第にこのままの自分で生きていくことに行き詰まりを感じていた矢先、三三歳の夏に下腹部が膨らんでいるという異変を感じました。その後どんどん膨らんで、周りの女性達からも心配されるほどになり、それまでは生理不順も不正出血もなかったのですが、一度だけ大量に不正出血があったので、婦人科で診てもらうことにしました。</p>
<p>◆どこの医者でも助からないと言われ、ＭＲＴに全てを懸ける</p>
<p>　初めは、「子宮筋腫ぐらいだろう」と気軽に考えていましたが、受診した結果、「卵巣癌の可能性が高いので、至急大きな病院へ行ってください」と言われ、紹介状を渡されました。病院からの帰り道、予期していなかった医師からの言葉にショックを受け、駅のカフェでしばらく茫然としていました。<br />　その後、紹介を受けた大学病院で丸一日掛かりで検査を受け、ＭＲＩ画像や採血から、「癌の病状がかなり悪化している可能性が高いので、すぐに手術をする必要があります。おそらく末期の段階でしょう。このまま放置しては命に関わるので、即入院してください」ということを言われましたが、怖くなってしまって入院することができませんでした。<br />　医者の言葉に絶望的になり、しばらく放心状態となりました。「命に関わる・・・」、何度もその言葉が私の頭を駆け巡りましたが、どうしても入院する気になれない自分がおりました。そうして私の口から出た答えは、「もう病院ではなくＭＲＴしかない」という言葉でした。ＭＲＴに行ってＲＴの先生にそのことを告げると、ちょうどアメリカに住まわれていた内海先生がご帰国されていて、治良を再開されているというお話を伺い、早速、当時のＭＲＴ本部（恵比寿）へ行きました。<br />　初めて内海先生にお会いして治良を受けさせて頂いたとき、内海先生は「あなたは今まで本気で何かを真剣にやったことがないでしょう」と仰られ、全てお見通しなのだと観じたことをよく憶えています。<br />　「これから医者に任せるのか、ＭＲＴでやっていくのかは、決めるのはあなただからね」と言って頂き、私は「手術はしません。ＭＲＴだけでやっていきます」と迷わず即答していました。「そう、ＭＲＴだけでやっていくと決めたのだね。大丈夫だから...」と言って頂き、治良後に『センコツくん』に乗っていると、安堵感からどっと涙が出てきました。<br />　そして、「安易に一ヵ所の病院で済ませず、いろんな病院へ行ってみなさい」と言われ、内海先生の仰った通りに、二週間で七ヵ所の病院に行きました。どの医者からも深刻な状態であることを告げられ、血液検査の結果や様々な画像検査を見るなり医者は「これは...！」と言葉を失くし、かなり驚いていました。そしてお説教を受けたり呆れたような顔をされたりしながら、「開腹手術するしか方法はなく、胸の下から股上までかなり大きく切開することになり、傷跡も残る」と言われました。また、「手術しなければ、三ヵ月しかもたない。もっても六ヵ月、それ以上は難しいと思う。また、手術したとしても、あとどれぐらい生きられるかわからないよ」と宣告され「もう手術してもしなくても死んでしまう」と言われているのと同じであることに、更に深く落ち込みました。<br />　その後、一度、内海先生に生命波を当てて頂いたことがあり、そのときに「どう感じた？」と聞かれましたので、「悲しい感じが出てきました」と言いましたら、「これから右手で、時計回りでお腹をさすりなさい」と教えて頂きました。お腹をさすっていると、自分自身のことをないがしろにしてきたことに申し訳ない気持ちで一杯になると同時に「自分のことを大事にしたい」という優しい気持ちも芽生えてきました。また、ＲＴの先生からも食事を野菜中心の食生活に変えていくようアドバイスを頂きました。<br />　そうして、現代医学や他の療法も一切受けず、ＭＲＴ治良を週三回受けることを決め、病院は処置をせずに検査だけをしてくれる医者を見つけ、経過を見ることにしました。<br />　それから六ヵ月経った頃に、数ヵ所の病院に再検査に行くと、どこの病院でも、医者が私の検査数値を見て首を傾げて驚いていました。この状態で、六ヵ月も生きていることが不思議であったようでした。<br />　ある病院では、「まだ、生きていたの？」とびっくりされ、その言葉に怒りと不信感が募り、それ以来、病院へは行かないことにしました。その後もＭＲＴ治良を受け続け、悪化することもなく、痛みという痛みもなく、お腹の張りも少しずつ上のほうから小さくなっていきました。</p>
<p>◆辛かった自分の人生を理解することで、護られ導かれていたことを識る</p>
<p>　今から思えば、私は小さい頃から自分を表現することが下手で、何でもやる前から諦めてしまう癖がありました。本心では「わかってほしい」「私も話したい」と思うのに、「周囲の人にはどうせ私のことなんかわかってもらえない」と思い、本心を抑えてグッと飲み込み、ずっと投げやりに生きてきました。<br />　大人になってから様々な職種に就いて派手に生きてきたこともありましたが、根本的に言いたいことが言えなかったのは変わらず、長年自分自身を大事にしてこなかったことで、たくさんの想いがお腹の中に溜まっていったのだと観じます。<br />　また、男性とのお付き合いにおいて、大好きな人に巡り会えたこともありましたが、どうしても結婚を考えられるような男性ではなく、「絶対に妊娠はしたくない」という頑なな想いを持ちながら、常に妊娠への恐怖心を捨て切れずにお付き合いしていた時期がありました。<br />　内海先生より「誤った陰陽の交わりをするなら一人で（女性を磨いて）いるほうが良い」という御教示を頂き、幼少期から性に対する嫌悪感を持ち、大人になってからもずっと自分の女性性を大切にしてこなかったことが思い当たり、それらが形態化して女性にしかない臓器である卵巣の癌となり、自分を真剣に見つめ直す道に導かれたのだと観じます。</p>
<p>◆霊止乃道を識り、実践してきたからこそ、観えてきたこと</p>
<p>　身体の倦怠感があり、お腹の張りもまだ残っていたので、人前に出たくなく、働かずに家の中に閉じこもる日々が続いていました。<br />　家では、『月刊ＭＲＴ』を読み返しておりました。ある日、「霊止乃道講話」のページを拝読しているうちに、このままではいけないと奮い立ち、自分も参加し、学んでいきたいという気持ちが、中真から沸き起こってきました。<br />　人間から霊止になるべく、一所懸命に学び、少しずつですが、師尚の御教示を実践していく中で、まだ「どうせ自分なんか・・・」と、自分自身を卑下してしまう癖は根強くありますが、本心では、「自分の女性性を解放し、輝く女性で在りたい」と望んでいることがわかるようになってきました。<br />　一九九九年、末期癌で余命三ヵ月と宣告され、現在二〇一一年で一二年が経ちましたが、周囲の人から、「ＭＲＴに通い始めた当時よりも元気そう。病気に見えない」と言われ、お腹の膨らみも更に減ってきました。一二年間、生理も順調に来ており、貧血以外には特に不調はなく、病気に苦しむことなく普通に日常生活を送っています。<br />　過去に、末期癌になるほど自分をないがしろにして生きてきたことに今では気付き、その生き方をやめ、自分自身を真に大事にし、霊止乃道を歩ませて頂いています。今後は、「霊主体従」になり、霊止として女性性を輝かせていきたいです。</p>]]>
        
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    <title>今までの人生の全ては、自分が霊止乃道に繋がるためにあったことに気付き、霊止乃道を歩んでいます - 体験談のご紹介</title>
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    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/experience//5.652</id>

    <published>2012-03-07T04:33:19Z</published>
    <updated>2012-03-07T04:37:06Z</updated>

    <summary>◆冷えとアレルギー性鼻炎で様々な治療を受けるうちに、もっと次元の高いものを求める...</summary>
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        <name>アイディデザイン</name>
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    <category term="冷え" label="冷え" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="歯の矯正" label="歯の矯正" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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    <category term="霊止乃道" label="霊止乃道" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/experience/">
        <![CDATA[<p>◆冷えとアレルギー性鼻炎で様々な治療を受けるうちに、もっと次元の高いものを求めるようになる</p>
<p>　私は、山口県で生まれ育ちました。暖かい地方でしたが、子供の頃から低体温で血行が悪く、年中お腹が冷えて下痢をしたり、毎年、冬になると必ず手足の指と耳がしもやけになっていました。肉体は虚弱でも意識は活発で、よく本を読んだり音楽を聴いては、その世界に没頭していました。小中学校の頃はサッカー、バレーボールなどの部活動中心の生活を送っていましたが、家族以外には自分をさらけ出すことを恥ずかしいと感じる想いが強く、親戚や友達の家に泊まりに行くと必ず便秘になっていました。<br />　中学生になった頃から、水のような鼻水がよく出るようになり、病院に行くと、「アレルギー性鼻炎」と診断されましたが、「そのうち治るだろう」と思い、そのままにしていました。ところが、高校に入っても依然としてアレルギー性鼻炎の症状が続いていたので、耳鼻科に行って注射を打つ治療を始めました。<br />　その治療を三ヵ月ほど続けましたが、ある日、「注射を打つのは身体に良くないのではないか？」と観じ、もともと医者や病院というものに対して何となく不安でイヤな感じがしていたこともあったので、その日から病院に行くのをやめました。それでも何とかして治したいと思い、鍼灸や食事療法なども試してみました。鍼灸は、ずっと続けていけば変わっていくかもしれないという期待もありましたが、何故かそのまま続けていこうという気にはなれず、また、食事療法もやってはみたものの、面倒だったり日常生活に適さなかったりしたので、結局続きませんでした。<br />　そして高校卒業後、九州の大学に入学したのですが、「自分の識りたいことや、やりたいことなど、大学で学ぶべきものはない」と観じて、親には申しわけないと思いましたが、わずか一ヵ月で、大学を辞めてしまいました。それから翌年の春まで、建築現場で足場を組み立てる鳶の仕事をしながら悶々とした日々を送っていましたが、あるとき、自分の師となる人物や自分の進むべき道を求めて、上京しようと思い立ちました。そして東京の中野に移り住みましたが、依然として自分が何をしたいのか、そして自分がどうなりたいのかもよくわからないままに職を転々としながら、日々暮らしていました。<br />　東京に来てから、花粉の季節以外は鼻炎の症状はあまり出なくなっていたのですが、身体の冷えは相変わらずでしたので、整体、カイロ、気功、ヨガなどをやってみました。しかしどれを取ってみても、一時的な気持ち良さはあるものの奥深いものは何一つ観じられず、「何かもっと次元の高いものがどこかにあるのでは？」と、その当時はまだ漠然とではありましたが、次第に奥深いものを求めるようになっていました。</p>
<p>◆絶対なるものを探して転々とした末に、師尚の御著書『中心感覚』に出会う</p>
<p>　二三歳のときに、「大自然の気と調和して生きること」を説いている人の本を図書館で読みました。子供の頃から忍者や仙人などの世界が大好きで、格闘技やスポーツ武道などとは違う「術」のようなものに憧れ、そういったものを身に付けたいと思っていたこともあり、その人に会いに行きました。そこでは、気血の流れを良くする導引術というのを教わり、朝晩三〇分ずつぐらい半年ほどやってみましたが、「健康法としては良いのかも知れないけど、これは自分の求めているものではない」と観じました。<br />　二四歳のときには、ある合気柔術の達人の本を読んで「この人に会ってみたい」と思い、入門しましたが、九〇歳ぐらいの高齢であったため、いつも椅子に座っていてほとんど動くことも喋ることもなく、私は「師と仰ぐには、自分とはあまりにも歳が離れすぎている。師弟の縁で結ばれていると思っていたのは、単なる自分の思い込みに過ぎなかったのではないか」という残念な気持ちになりました。その後、私と同じように本を読んで様々な人々が入門してきましたが、その人達と話したり一緒に稽古しながら自問自答しているうちに「やはりここも自分が求めているものとは違う。自分の人生をこれに費やす覚悟は持てない」と観じて離れました。そうして、確たる感覚を得られないまま、それでも自分の求めるものと一致する世界を転々と探し歩いていた私でしたが、二五歳の春、自宅の近所の書店で、師尚の御著書『中心感覚』に出会いました。「中心感覚」という言葉に何か観じるものがあり、手に取って読んでみると、書かれていることがスーッと自分の中に沁み込んでいくような心地良さを覚えました。「人間は意識や霊のことを識るために肉体が与えられている」ということや、「陰と陽、プラスとマイナスの真ん中にたどるべき中真の道が観得てくる」ということなどを読み、本に書かれていることをもっと深く識りたいと観じ、二〇〇〇年の四月にＭＲＴ治良の予約をしました。</p>
<p>◆ＭＲＴ治良を受けた初日に歯の矯正器具を外して捨てたが、一一年経った今も歯はガタガタになっていない</p>
<p>　初めてＭＲＴ治良を受けたときは歯の矯正器具を着けていたのですが、それを治良後に外しました。<br />　「噛み合わせが良くなればもっと体調が良くなるのでは･･･」と思い、二一歳のときから矯正をしていましたが、まだ生えてもいない親不知を四本とも強引に引っこ抜いたり、器具を調整する度に頭が痛くなるので、「大丈夫なのか？　身体はイヤがっているのではないか？」と観じていました。<br />　矯正歯科医からは「途中でやめたら元に戻ってしまいますよ」と言われていましたが、ＭＲＴ治良を受けたところ不思議と不安な気持ちが消えてしまい、自分の感覚で動いてみようという気になり、器具を外して捨てました。あれから一一年経ちましたが、新月と満月の前後にこめかみのあたりがズキズキ痛むことはありますが、今も歯がガタガタになったりはしていません。</p>
<p>◆様々な想いによって一度ＭＲＴを離れたが、『仙骨』の大事さがはっきりとわかり、再びＭＲＴに通い始める</p>
<p>　ＭＲＴ治良を始めて間もなく、道術を教えて頂きたくて、当時都内で月二回、日曜日に行われていた『ゼロ中真会』に入会させて頂きました。<br />　「自分の求めていたものにやっと出会えた」と思い、最初の頃は毎回稽古に行くのが楽しみでしたが、冬になると、相変わらず身体が冷えていることを煩わしく感じたり、他人と自分を比べて卑屈な想いを発するようになりました。当時は男女が一緒に稽古していましたので、女性と稽古するときなどに冷たい手で手首を掴むと気持ち悪いと思われるのではないかと気にしたり、毎回同じことを指摘され、先輩とはいえ女性に指導を受けてそれでも全然上達しない自分を情けなく思い、仙骨に意識を集中することなどできず、完全に中真を自分から外してしまっていました。<br />　それで、「血行が良くなったらまた再開すればいい」と思い、稽古に出るのをやめてしまいました。<br />　その後、ＭＲＴ治良を始めてから一〇ヵ月ぐらい経った頃、『センコツくん』を購入しました。いつも治良後に『センコツくん』に乗ると血の巡りが良くなっていたので、「これに乗っていればもうＭＲＴ治良を受けなくても良いのではないか？」と勝手に思い込み、それから二年ぐらいはほとんど治良を受けなくなってしまいました。その頃は「自分で仙骨を意識して生活していけば中真感覚が使えるようになるのではないか」と思っていたのです。それから二年間ほどＭＲＴから離れた生活を送りましたが、その間に、「やはり、自分一人では中真感覚どころか仙骨に意識を向けることさえなかなか続けられない」ということをはっきり識ることができました。<br />　そして、二〇〇三年の春に再びＭＲＴに予約を入れ、それからは定期的に治良を受けるようになり、ＭＲＴオフィスで行われていた『中真感覚の学び』にも参加するようになり、過去の『月刊ＭＲＴ』を全て揃え、師尚の御話をもっと深く理解しようとして何度も読むようになりました。</p>
<p>◆「自分がずっと探し求めていたのはこの道だった」とはっきり自覚</p>
<p>　二〇〇五年の夏、『月刊ＭＲＴ』を読んでいたとき、師尚がボロボロになるまで読まれたという『老无太霊講話集』という御本の存在を知り、自分も師尚のように御本をボロボロになるまで読んでみようと思い、書店で取り寄せて読み始めました。その御本には、自分が識りたかったことが書かれていることは観じましたが、自分の日常生活にどう活かせばよいのかよくわかりませんでした。<br />　そこで、当時ずっと気になっていた『霊止乃道講話』に参加させて頂くことと、『中真会』で改めて道術を間練ばせて頂くことを決意し、二〇〇五年一〇月より霊止乃道を歩ませて頂くようになりました。それからは道術の稽古も休むことなく続けています。<br />　二〇〇八年に、千葉の本部にて開催された「新月祭」に参列させて頂いたときに、師尚の後ろ姿を拝見させて頂きながら、「霊止乃道は『人間』のままでは歩むことのできない厳しい道だ」ということを強く観じ、「今までフラフラ生きてきた私が師尚の後ろを歩ませて頂けるのか」と、戸惑いましたが「ずっと探し求めていたのはこの道だったのだ。この道を歩んでいこう」とはっきりと自覚しました。</p>
<p><br />◆今まで以上に真剣に霊止乃道を歩む</p>
<p>　師尚と御縁を頂くまでの二四年間、何をやっても、何一つ長続きしなかったのは、今にして思えば、「術」だけに目を奪われてしまって、そこに「絶対なる道」というものが欠けていたからだと観じます。<br />　師尚の御著書と出会ってから一一年が過ぎ、この度、体験談をまとめるために過去を振り返ってみて、様々なことに気付かせて頂きました。<br />　以前は、他人と自分を比較し、自分を良く見せようとして優越感と劣等感の間を行ったり来たりしていたことや、女性にモテたい、交わりたいという想いを中真に納められず、うまく手なずけて自由自在に操ることができずにいたことなどが観えてきました。常に自分を中真とすることなく、他人に中真を置いている限りはずっと不自由なままだと気付きました。<br />　そのことに気付いてもなお、中真を保ち続けることはたやすいことではないのですが、それでも「自分が関わる現象は過去の自分が発した想念の顕れである」ということや、「全ては中真（＝神）を識るために存在している」ということをより深く理解していきたいと、日々、平凡な日常生活の中に隠れているものから間練んでいます。<br />　今、『人間』のままでいては不安に押し潰されそうな世の中になってきていますが、肉体に執着せず、本来の『霊止』として、これからも永遠に続く道を焦らずたゆまず淡々と歩み続けて参ります。</p>]]>
        
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    <title>周りに囚われ、極端な生き方をして病気がちだった人生から一転。人生は自分が映し出しているという自覚を持ち、素の自分で生きるようになった - 体験談のご紹介</title>
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    <published>2012-03-07T04:23:25Z</published>
    <updated>2012-03-07T04:31:09Z</updated>

    <summary>◆病弱な幼少時代を送り、物心ついたときには劣等感を感じていた 　三歳の頃から喘息...</summary>
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        <name>アイディデザイン</name>
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    <category term="生き方" label="生き方" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
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        <![CDATA[<p>◆病弱な幼少時代を送り、物心ついたときには劣等感を感じていた</p>
<p>　三歳の頃から喘息がひどく、中学、高校生のときには何回か入退院を繰り返していました。その間にも中学生のときから様々な治療院を渡り歩きましたが、一時しのぎで根本的には何も変わらないと感じて、そのうち行かなくなりました。<br />　物心ついたときから、自分が社会的地位のある家に生まれたことを意識して過ごすようになり、両親や親戚などは高学歴で大会社に勤めていた人が多く、長男である自分は何かにつけて社会的に他人から評価されなければいけないという囚われを持っていました。しかし、その想いとは裏腹に学校の勉強などはせず、いわゆる良い学校を出て良い会社に就職するというコースからはどんどん遠ざかり、劣等感を感じていました。高校卒業後は、唯一得意だと思っていた美術の学校に入って絵を描く生活になりましたが、それまでの劣等感の反動か、今度は「得意な絵の分野で他人に評価してもらいたい...」という想いが湧いてきました。今、振り返ると、この時期に人より抜きんでるといった競争意識の染脳が深く根付いていたように思います。<br />　美術の学校を出てからは、実家を離れて絵を描く時間を作るために、無理をして深夜の高賃金の仕事を始めました。横浜の本牧埠頭で大型船のコンテナを積み降ろしする現場で、夕方六時から朝方二時頃まで、時には夜明けまで続くこともあり、海辺での仕事なので真冬などはものすごく身体を冷やしました。生活のリズムが崩れ、食生活もコンビニの弁当のお世話になりっぱなしで、タバコも多いときは一日二箱吸っていました。絵を描きたくて生活を変えたつもりが、絵もあまり進まなくなっていました。そのような生活が続いていたある日、自宅でちょっと重い物を動かそうとしただけなのに、腰に尋常ではない異常な感覚が走り「身体の根本的な所から何かグリッとズレてしまったなと感じました。<br />　今思えば、日々の無理が重なり仙骨をだいぶ変位させたように思います。それからはいくら寝ても休んでも身体がすっきりせずに肩の力も抜けず、身体のあちこちが凝っているような感じで一向に回復する気配がありませんでした。それに加えて人間関係までスムーズに行かなくなり、周りにとって自分が迷惑な存在のように感じて自信がなくなってしまいました。<br />　これではいけないと思い、昼間働く生活に変え、整体やカイロなどの治療に通ってみましたが、根本から変わる感じはしないので長くは続きませんでした。こうなれば自分でなんとかするしかないと思い、健康に関する本を見つけては試していきました。タバコをやめ、食生活を見直して、コンビニ弁当や肉食などもやめて玄米食にしたり、化学調味料や農薬に気を付けるようにしました。<br />　しかし、身体の不調は一向に改善されず、常に不安を抱えていましたので、今度は先祖のお墓参りや、全国各地のパワースポットといわれる場所巡りをしたりと、良いと思えることを次から次へと試してみました。<br />　そうして腰を悪くしてから一〇年ぐらいの年月が経ったときのことです。以前から何かの本で読んだ"人体の重要部位は『仙骨』である"との一節が気になっていたのですが、ある日、本屋で平積みにされた「仙骨を意識せよ！」と帯に書いてある御本が目に入ってきました。それが『霊止乃道』の御本で、早速購入して読み終えました。<br />　二〇一二年に地球の次元が変わることは他の本で読んだ知識があり、そうなのかもしれないなと思っていたのですが、この御本ではその日に向かっての具体的な実践の道しるべを示して頂いていたのと、師尚の御言葉が淡々としていて、言葉では表現しがたいのですが何か深いものがあるような感じが致しました。<br />　とにかく仙骨の治良は絶対効果があるに違いないと直感し、すぐにＭＲＴオフィスへ予約の電話をしました。</p>
<p>◆子供の頃から感じていた身体の歪みが治されていくこを実感しました</p>
<p>　二〇〇九年二月一一日に初めてＭＲＴ治良を受けました。治良後は、腰回りがピシッと引き締まる感覚があり、立つ、座るという動作が安定し、精神的にも落ち着いた気分になりました。<br />　治良に通う度に、身体が動いていくような感覚があり、子供の頃から感じていた身体の歪みが治されていくこを実感しました。仕事で重い物を持って痛めがちだった腰も安定してきて、たまに腰を痛めることがあってもＭＲＴ治良を受けるとすぐ回復するようになりました。<br />　またＭＲＴに通う前は食べる量が多い割には身体は痩せて疲れやすかったのですが、今は食事の量が減ったものの、それほど痩せることもなく逆に疲れにくくなっています。<br />　そして湿疹が出ては引いてという変化を繰り返しながら、その度に身体が軽くなっていくことを感じました。<br />　ＭＲＴに通う前は食事に非常に気を使い、例えば玄米と決めたら玄米しか食べず、肉や卵、乳製品も一切口にしないで極端に制限する傾向がありましたが、今ではそのようなこだわりがなくなり、精米したお米など食べたいものを食べるようにしたところ、そのほうが体調が良くなったと感じます。<br />　二〇一一年の七月には『センコツくん』も購入し、それからは朝は必ず乗るようにしています。</p>
<p>◆中真感覚で動き、物事を捉えるようになった</p>
<p>　ＭＲＴオフィスで開催している「中真感覚の学び」に参加して、中真感覚を体感する機会がありましたが、身体が思うように動かず、自分の中真から動いていないこと、知らず知らず力が入って身体が固くなっていることを痛感致しました。これは、日頃、他人からの評価を気にして身構えてしまっており、それが身体に顕れているのだと気付きました。また、中真感覚を体感したことで、「素の自分」というものがあるのを感じ、他人に対して身構えるような想いを捨てて、素の自分に戻りたいと意識するようになりました。<br />　今は宅配の仕事をしていますので、重い物を持って肉体的ダメージを大きく受けるのですが、中真感覚の学びを体験してからは、仙骨を意識して仕事をすると、荷物を持つときの負担を減らせるコツが掴め、疲れにくい身体になってきたことを実感しています。</p>
<p>◆現象は自分が映し出している。自分の経験は無駄ではなかったことがわかって楽になった</p>
<p>　ＭＲＴ治良に通いまして、体調は着実に改善され、それ以上に精神面で大きく変わってきました。<br />　毎月発刊される『月刊ＭＲＴ』を楽しみにしており、私がＭＲＴに通う以前の『月刊ＭＲＴ』を綴った集大成も読み進めています。『月刊ＭＲＴ』を読み、ＲＴの先生の御話をお聞きしていくうちに、自分が子供の頃から病弱だったのも、その環境がなければ自分自身に向き合う気持ちにもなれなかったことに気付き、もし普通に健康で過ごしていたら真っ先に世間の競争社会に力ずくで勝ちに行くような生活を送り、理解のない薄っぺらな人生になっていたことが今ではよくわかります。<br />　そして、特に大きく概念が変わったのは、『月刊ＭＲＴ』で「現象は自分自身が映し出しているということを読ませて頂いたことでした。それまで自分がよく絵を描いていた経験と繋がり、深い気付きとなりました。絵を描くとき、作品は全て自分の責任であり、自分自身を映し出したものだということを思い知らされていたので、同じように人生で起こることは、３Ｄ映画のように自分自身が作り出したものであるということに繋がってきたのです。そうすると、例えば仕事で上司からいろんなことを言われたときに、以前は「言われている。やらされている...」という不満を持って、他人のせいにすることが多かったのですが、突然言われるようなことも実は自分がそうさせていると捉えるようになりました。そうすると、言われることは変わらなくとも周りに流されなくなり、気持ちの切り替えも早く、自分を確立できるようになりました。<br />　また、自分の人生を振り返ると、どこか虚ろに捉えていて劣等感を気にするときもあれば、何かもっと楽しい世界はないかと求めて、得意分野にこだわったり、ガムシャラに仕事をこなすような極端なことをしていましたが、このように極端に中真から外れた経験も中真の道を識り、霊止乃道を歩むためにあったのだと気付き、人生をありのまま観ることで、理解できることも深いものになると感じるようになりました。<br />　ここ最近、睡眠はしっかり取っているのに、やたらと眠い状態が続いていますが、地球の変動とともに、自分の身体も新しく変わろうとしているのを実感します。<br />　ＭＲＴ治良に通っていると、ＲＴの先生、スタッフの方々が真剣に霊止乃道を歩まれていることを感じ、週一回治良を受けて、皆さんにお会いすることが大きな支えとなっています。これからもＭＲＴに通いながら自分が持っている不自由な要素を捨て、心身共にスッキリとした生き方をしたいと思います。</p>]]>
        
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    <title>最新の体験談を3件追加しました。 - TOPICS</title>
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    <id>tag:mrt-jp.com,2012:/topics//2.650</id>

    <published>2012-02-08T06:24:45Z</published>
    <updated>2012-03-07T05:07:49Z</updated>

    <summary>各地のＭＲＴの3件の験談を追加いたしました。内容は最近の体験談のコーナーでどうぞ...</summary>
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        <name>アイディデザイン</name>
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        <category term="ＭＲＴからのお知らせ" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://mrt-jp.com/topics/">
        <![CDATA[<p>各地のＭＲＴの3件の験談を追加いたしました。内容は<a href="http://mrt-jp.com/experience/">最近の体験談</a>のコーナーでどうぞ！</p>]]>
        
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    <title>脳幹梗塞で倒れ、絶望の淵に立たされて死を垣間見ましたが、ＭＲＴ治良により心身共に復活しました - 体験談のご紹介</title>
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    <published>2012-02-08T06:12:23Z</published>
    <updated>2012-02-08T18:28:24Z</updated>

    <summary>◆書店巡りをしていたときに、ＭＲＴ良法に出会えた 　私は読書が好きで、二〇〇一年...</summary>
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        <name>アイディデザイン</name>
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        <![CDATA[<p>◆書店巡りをしていたときに、ＭＲＴ良法に出会えた</p>
<p>　私は読書が好きで、二〇〇一年頃、一ヵ月に一度、東京の神保町で書店巡りをしていました。そのきに、御著書『中心感覚』に巡り合って関心を持ち、二〇〇一年八月にＭＲＴ大宮で初回治良を受けました。オフィスの雰囲気がとても良かったので、その後も一ヵ月に一回、神保町での書店巡りの前には必ずＭＲＴ大宮で治良を受けるようになり、『センコツくん』も購入して家でも乗るようになりました。師尚の御講話に何度か出席させて頂き、二〇〇二年一二月に師尚から次元上昇の御話をお聞きしたとき、以前から他の雑誌で、「二〇一二年に地球が変革される」ということや、その他の本でも二〇一二年に変化が起きることを読んで知っておりましたので、何かこれから世の中がとてつもなく大きく変わっていくことを感じました。</p>
<p>◆美食三昧の日々。大好きな肉を好きなだけ食べ続けていた</p>
<p>　二〇〇六年八月から二〇〇九年二月の間、ＭＲＴ治良を一旦お休みしていた時期があったのですが、その間に食事の不摂生が原因で糖尿病になってしまいました。二〇〇七年の血糖値は四七七で、正常基準値の四倍以上もありました。しかし、血圧は低く、身長一七四センチメートル、体重六二キログラムで肥満ではなく、勤務する学校のサッカー部の顧問としてよく走れていたので、二〇一二年まで身体が保てれば良いとして放置し、好きな肉を毎日二食は外食で必ず食べる生活を続けていました。<br />　当時のある日のメニューを思い出してみると、昼食は牛刺しとサーロインステーキ、夕食は極上ロースカツと豚角煮。または、大盛りチャーシューメン、モツ煮込み、餃子、コンビニでアイスクリーム二個など、野菜はいっさい食べずに肉食ばかりの日々であり、一般の人が食べる一生分の肉の量の倍以上は今までに食べていました。そしてその不摂生な食事の反動がある日、突然に顕れました。</p>
<p>◆とうとう脳幹梗塞で倒れる</p>
<p>　二〇〇九年に『霊止乃道』の御著書が出版されたことを知り、再びＭＲＴに関心が芽生え、二〇〇九年三月よりＭＲＴ治良を再開しました。「よく歩いてください」というＲＴの先生の薦めで、二〇〇九年夏から歩くことは実践していたのですが、食生活を改めることなく、不摂生の反動は突然にやってきました。<br />　二〇一一年四月八日一〇時三〇分、勤務先の学校で倒れ、保健室でモタモタしているうちに治療が遅れ、厚生病院に救急車で運ばれましたが、更に検査に三〇分掛り、「脳幹梗塞です」と診断されました。薬の点滴の効なく、右半身の動きが急激に失われ、夕方には死体同様で一ミリたりとも手足が動かせなくなってしまいました。医者から「脳出血などで〝傷ついた脳〟ならまだ再生の可能性がある。しかし、貴方の場合は壊死だから絶対に再生しない。しかも壊死した部分は脳でも大切な所で、それも大きくやられているので、残存する部分でカバーするのは不可能」という話を直接聞きました。脳幹の梗塞なので、呼吸機能もやられてしまい、息の根が止まる寸前であったことを知りました。<br />　母親は担当医から「息子さんは助かっても一生寝たきりになるでしょう。覚悟をしてください。その上で今後の生活設計を考えてみてくだい」と言われたそうです。<br />　それでも母親は「こんな身体になっても息子が生きていてくれれば、それだけでいい」と思ったそうです。（この日、四月八日の血糖値は三五一、高コレステロールで動脈硬化も酷い状態でした）。しかし身体は全く動けない状態でありながら、話す機能だけは失われることはありませんでしたので、幸いにも意思の疎通はできました。</p>
<p>◆絶望の死の淵から、奇跡の生還へ</p>
<p>　その日から、ベッドだけが自分の全世界という日々が始まりました。尿意をもよおせば尿瓶、便意ならばオムツ。四月一〇日に集中治療室から個室に移動。「この先何十年もベッドだけが全世界の状態なら、いっそのこと...」と、自殺を考えました。涙する日々が続きましたが、やがて、生きるしかないと考えるようになり、「とにかく生かされていたのだから、生きよう」と観念したのでした。<br />　そして、自分の意志でベッドでの生活を大きく方向転換したのは四月一九日のことでした。その日、私は死にもの狂いでベッドからはい出ました（というか転げ落ちました）。悪戦苦闘の末、全く動かないがとにかく右足をつっかえ棒として、ようやく立つことが出来ました。すぐに崩れ落ちましたが、「これで一生寝たきりではない」という確信が湧いてきたのです。<br />　四月二三日、立つことに三〇分、そこから更に三〇分くらい掛かって一メートル程度を歩くというか、前進することが出来ました。翌日は、右手の人差し指が一ミリぐらい動きました（正確に言うと動いた様な気がしました。しかし、それでもうれしかったのです）。<br />　そうして四月二九日、「一生寝たきり」と医者から言われていたはずの私は、動かすことのできる左半身だけを使って自力で車椅子をなんとか動かせるまでに回復したのでした。<br />　更に、五月一一日には左手で杖をつき、右足に装具をつけて少し歩けるようになり、車椅子とも決別することが出来るようになりました。<br />　五月中旬には、右手の指だけでなく腕がかすかに動き始めました。担当の言語聴覚士に「将来、車か自転車に乗りたい」と言いましたが、「難しいですね。あなたのような方が自動車を運転出来るようになった例は、今まで一度も見た事も聞いた事もありません。自転車はそれ以上に難しいです」と否定的な言葉が返ってくるのみでした。<br />　五月下旬、医者の検査に対する疑問を口にしたら、言語聴覚士に「それならリハビリはやらなくていいです。あなたみたいな人と一緒に仕事はしたくない！」と金切り声をあげられてしまいました。「元々の性格なのか、脳の病気でこうなったのか調べる必要があります」とまで言われ、その一言で「それなら、自分で自分の身体を治してみせる」と決意して、来る日も来る日も廊下の手すりにすがって歩行のリハビリに励み、それができると室内の運動施設で歩き、六月上旬には杖とも決別でき、装具のみで歩けるようになりました。<br />　六月中旬には、装具とも決別。何とか補助もなく歩けるようになったので、今度はスプーンで食事を始めました。以前は何も考えることなく当たり前に持っていたスプーン一つ持ち上げることができないほど、地球の重力が腕に重くのしかかりました。腕をテーブルの上に上げることすらも大変で、テーブルがとてつもなく高く感じられました。指を動かすのは細かい動きを要するのでさらに大変で、ひと口ごとにゼーゼーしながら休み、二口、三口ほどを口に入れるのが限度でした。大部分は右手よりも自由に動かせる左手を使って食事をしましたが、リハビリを続け、六月下旬にはほとんど右手を使って食事が出来るようになりました。<br />　そして、「一生寝たきり」と医者から言われていた私は、何と倒れてからわずか二ヵ月余りの六月二一日には支障もなく自力で歩行できるようにまで奇跡的に回復し、まだ入院中ではありましたが、外出させてもらい、週に一度のＭＲＴ治良を再開することができたのです。<br />　六月二八日、ＭＲＴでＲＴの先生から毅然とした口調で、「今後一切肉食は止めるように」との話を頂きました。<br />　七月上旬、箸を使っての食事を始め、スプーンとの併用はありますが、何と一〇〇パーセント右手で食事が出来るようになったのです。<br />　七月一九日、病院での血液検査の結果、数十項目全てが正常基準値内となりました。五月から比べて悪玉コレステローは一七二→七二になり、ヘモグロビンＡ１Ｃは一〇．九→五．五になりました。<br />　担当医より「見事です。パーフェクトです」と言われ、糖尿病の薬も服用しなくて良いことになりました。<br />　八月上旬には、血糖値が八〇台から九〇台をキープするようになり、八月一一日には数メートル走ることができました。八月二〇日には、「絶対に無理」と言われていた自転車に乗ることができました。倒れてから初めて自転車に乗ったとき、身体がちゃんと覚えていて、割とスムーズに乗ることが出来たのです。そして、ピアノで「ねこふんじゃった」が弾けるようになり、とてもうれしくなりました。更にその後、何と自転車で片手放し運転がどちらの手でも出来るようになりました。<br />　ＭＲＴ治良を受けるようになってからは、グラウンドを一周、二周と歩く距離が長くなり、毎日五時間ぐらいはリハビリで歩けるようになっていました。<br />　九月二日、五〇〇メートル以上続けてランニングが出来ました。<br />　入院中も自力で歩行できるようになると、毎週のＭＲＴ治良は絶対に欠かさず受けていましたので、九月二二日、晴れて退院となりました。<br />　今回の人生最大の危機の直接の原因は、二〇代からの高脂血症や、四〇代からの糖尿病を放置して、肉食や美食、大食を続けたことにありました。しかし、根本的には中真を外した歪んだ想いや人間性があり、ＭＲＴの戒めを軽視しタカをくくった生活に反映され顕れたのだと思います。<br />　今回の出来事から、ＭＲＴ治良を受けていたから復活の機会が与えられたと感じています。今、高脂血症と糖尿病は消え、動かなかった右半身のマヒも相当復活していますが、まだ完全でなく、左半身とは差があります。しかし、これからもＲＴの先生のアドバイスに従い、毎日よく歩くことを続け、教えてもらった「土の精のおくりもの」も飲みながら、完全復活したいと思っています。</p>]]>
        
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